圭秀の修行日記平成26年4月2日

但馬曹洞宗道交会主催研修旅行
「官兵衛ゆかりの地をめぐる備中高松城址と御着城址散策」を終えて

 4月2日、但馬曹洞宗道交会主催「官兵衛ゆかりの地をめぐる備中高松城址(岡山市北区)と御着城址(姫路市)散策」旅行が行われました。
 当会は、兵庫県但馬地区所在の曹洞宗寺院で構成されており、昭和27年に創立された団体です。 「仏祖の遺訓を奉じて宗風の宣揚に努めると共に会員の資質の向上と相互の提供と親睦をはかり、併せて檀信徒の教化活動をなす」ことを目的として、毎月、曹洞宗但馬伝道紙「道交」を発行する傍ら、随時講演会や研修会を開催し檀信徒教化につとめています。

 今回の研修旅行は、現在、テレビの大河ドラマで「軍師官兵衛」が放映されていることに因んで、舞台となっている姫路市を中心に当時の歴史を学ぼうということで企画されました。
 備中高松城は、天正10年(1582)5月、羽柴秀吉率いる3万の軍勢が高松城を取り囲みながらも力攻めすることができず、黒田官兵衛の進言といわれる「水攻め」により高松城が湖面の浮城となったことで知られています。 また、御着城は黒田官兵衛が家老として在城したことで知られています。 三木城、英賀城と並び播磨三大城郭の一つとして挙げられます。

 当日は、寺院、檀信徒併せて30名が研修に参加しました。 快晴の中、ちょうど桜が満開の時期ということで、参加者は両城址の見学に加えて、それぞれの風景をも満喫しているように思われました。
 参加者は、備中高松城址では、「官兵衛はどちらの山に陣を構えたのですか? 加藤清正はどちらの山に陣を構えたのですか? 秀吉はどのようにして中国大返しを成し遂げたのですか?」と質問を投げかけ、また御着城址では「官兵衛が家老として仕えていたのはどのくらいの期間ですか? 当時の播磨各地の力関係はどのようになっていましたか?」等など、現地のガイドさんに次々に質問を投げかけていました。

 大河ドラマ「軍師官兵衛」の登場人物の中には、永源寺と関りのある武将がいることもあって、私は当時の歴史に思いを馳せていました。 今回、実際にその土地を訪れ現地ガイドさんから話を聞くことで、書物だけではわからない事実を学ぶことができました。 歴史を詳しく知ることは、現代に至る過程を広く深く掘り下げて理解することに繋がります。 そして、不自由のない今の生活があるのは先人の努力のおかげであることを自覚することができました。 恙なく暮らせる生活に感謝しながら、先人の御恩に少しでも報いることができるように精進したいと思います。


備中高松城址にて撮影

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