和尚の修行日記平成26年3月15日

兵庫県第二宗務所青年会研修旅行を終えて

 3月10日、兵庫県第二宗務所青年会主催の研修会が行われました。 当会は、兵庫県の丹波、篠山、但馬(タジマ※)の曹洞宗寺院で構成されています。 当会では、各地で行われる法要に随喜(ズイキ※)したり、年末の寒行托鉢(カンギョウタクハツ)、ボランティア活動、曹洞宗梅花講奉詠大会の手伝いなどを通して研鑽を積んでいます。

 今回の研修会は、大阪市内にあるお骨佛の寺として有名な御寺院を拝観することでした。 この寺院は、1185年に法然上人が夕陽を拝して極楽浄土を感得する「日想観」を、後白河法皇と修せられたことにはじまる浄土宗寺院です。 江戸時代、商都として栄える大阪に来た人々の為に、宗派を問わず法要を修行することを旨としました。 そのことがきっかけとなり、今でも一年中施餓鬼法要が行われています。 寺を訪れる人々の気持ちは法要のお願いに止まらず、お堂への納骨を徐々に依頼するようになりました。 明治期にはそのお骨がお堂に収まらなくなり、お骨佛の造立が発案されたそうです。 10年に一度仏様が一体作られ、現在までに13体造られました。 戦前に造立された6体は戦災で焼失しましたが、現在は7体がお祀りされています。 次期お骨佛開眼法要は平成29年に行われるとのことでした。

 私たちが本堂に入ると、正面に祀られている御本尊を挟んで、左右の祭壇の前には先祖供養を申し込んだ人達で長い列ができており、次々と法要が行われていました。 また、納骨堂にはお骨で練造された阿弥陀仏像が祀られ、その外ではその仏像に手を合わす為に訪れた参拝者が列をなしていました。
 私は、お骨はお墓の中に納められるものだと思い込んでいましたので、お骨で造立された仏様を目の当たりにした時はとても驚きました。 大都市の大阪市では、宗教に対する人々の考え方が多様化しているとは思っていましたが、この寺院の山内の僧侶の数はもちろんのこと、法要の在り方についても永源寺との違いの大きさに驚いてしまいました。

 現代は人の価値観が多様化しているので、葬儀という儀式一つとってみても家族葬、樹木葬、無宗教でのお別れ会など、選択の幅が増えています。 お墓に関しても少子高齢化という社会傾向の中で、従来の先祖代々墓を守り続けることが難しい状況が生まれつつあります。 八鹿町内でも管理されないお墓は草が生い茂り、隣のお墓にまで侵入している場合があります。 たとえ子供がいてもその子供に負担を掛けたくないという親心から、今後お墓をどうしたらよいかという悩みを抱える人たちもいます。 お骨佛に手を合わせる参拝者の姿を見ながら、社会の変化に伴い仏事の在り方はさらに変化するだろうと思いながら、自分もまた一介の僧侶としてどうあるべきか考えなくてはいけないと思い知らされた研修会でした。

(備考)
※ 但馬:永源寺(養父市八鹿町)は但馬地区に属す
※ 随喜:法要に助力すること

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