圭秀(出家僧侶)の修行日記2013/10/05

八鹿町曹洞宗寺院護持会研修会
「八鹿地域の文化財」を終えて

 10月5日、八鹿町(ヨウカチョウ)曹洞宗寺院護持会研修会が洞仙寺(養父市八鹿町小佐)にて行われました。 今年で22回目を迎えるこの研修会は、5ヶ寺の八鹿町内曹洞宗寺院が持ち回りで年に一度開催しています。 各寺院の住職と護持会役員がその年のテーマについて勉強した後、各寺院の護持会活動について協議し、会食・懇談により親睦を深めることを目的としています。

 今年はテーマを「八鹿地域の文化財」として、講師に養父市教育委員会社会教育課・谷本進先生を迎えて研修会が行われました。
 先生は八鹿地域の文化財について様々説明された中で、先ず養父(やぶ)という地名について話されました。 先生のお話によると、天平9年(737)に書かれた「但馬国正税帳」という書類の中に「養父郡養父神」という文字が入っていることや、平城宮跡の発掘調査の折に、天平勝宝7年(755)に当時の小佐郷に住む村長の語部(カタリベ)氏が奈良の都に赤米を贈ったことを示す「但馬国養父郡老佐(小佐)郷、赤米五斗、村長語部広麻呂、天平勝宝七年五月」の文字が書かれた木簡が発見された史実から、「養父(やぶ)」という地名や施設が現在の円山川付近にあることから、養父という言葉は円山川に由来する景観を表した名称ではないだろうかということでした。

 次に説明されたのは、養父市八鹿町朝倉の地名に因んで付けられた朝倉山椒(アサクラサンショウ)の話です。 慶長16年(1611)、但馬生野奉行の間宮直元(マミヤナオモト)が、駿府城の徳川家康に朝倉山椒5箱を献上したことや、寛永年間に沢庵和尚(豊岡市出石町の高僧)が松平阿波守(マツダイラアワノカミ)に朝倉山椒を贈呈していた事実を説明され、朝倉山椒が江戸時代の初期には大名への献上品として使われていたことを教えて下さいました。

 また、島根県にある出雲大社から寄進された養父市八鹿町妙見(ミョウケン)にある国指定重要文化財・名草神社(ナグサジンジャ)三重塔の話では、寛文2年(1662)に出雲大社の本殿の建設が始まった際、名草神社周辺にあった御神木の妙見杉が出雲大社本殿の御用材として提供され、その御礼として出雲大社三重塔が妙見山(ミョウケンサン)に寄進されたことを説明されました。
 現在の名草神社は、平成24年4月に3メートルを超える大雪によって本殿と拝殿が破損し、丸太などで補強して応急処置を施し、一日も早い災害復旧工事に向けて準備を進めているそうです。

 最近では、日本が誇る名山の富士山が世界文化遺産に登録されました。 現在、世界各地域において伝統文化や歴史的建造物を保護保存しようとする活動が盛んに行われています。 このことは寺院においても同様ですが、歴代住職や檀信徒、地域の人々によって支えられてきた寺の建造物をできるだけそのままの形で後世に伝えるのは現代に生きる者の務めだと思います。 近年、世界各地で地球環境の変化による自然災害や人的災害で、歴史的建造物が崩壊する事故が起こるなど、文化財を保存する環境は激しさを増していますが、できるだけそれらをそのままの姿で後世に残さねばならないと思います。
 私は八鹿町に移り住んで12年目ですが、地域のことについてはまだまだ分からないことばかりです。 このような研修会に参加させて頂き、地域のことをより詳しく知ることで檀信徒との会話にも幅が生まれるので、とても有意義なことと思いました。 谷本先生ほか、研修会を設定された洞仙寺の皆様方に厚く感謝御礼申し上げます。

三重塔 名草神社

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