圭秀の修行日記2012/10/13

八鹿町曹洞宗寺院護持会研修会「池田草庵と禅」を聴いて

 10月13日、八鹿町曹洞宗寺院護持会研修会が宗恩寺にて行われました。今年で21回を迎えるこの研修会は、八鹿町内曹洞宗寺院(龍蔵寺・宗恩寺・養泉寺・洞仙寺・永源寺)が持ち回りで年に一度開催し、各寺院の住職と護持会役員がその年のテーマについて勉強した後、各寺院の護持会活動について情報交換し、会食・懇談により親睦を深めることを目的としています。

 今年はテーマを「池田草庵(イケダソウアン)と禅」として、研修会が行われました。私たちは、場所を宗恩寺から青谿書院(セイケイショイン)に移して、講師に宿南先生を迎えて講演を聴きました。
池田草庵は、江戸時代末期の儒学者で但馬聖人と称えられた方です。但馬国宿南村に三男として生まれ、幼少期に寺(真言宗)に預けられます。その後、儒学の勉強をするために京都へ出て学問に励みました。30歳の時に八鹿町に戻り弟子の教育を始め、私塾「青谿書院」を開き人間の育成に力を注ぎました。主な門下生は、浜尾新(※1)、北垣国道(※2)、原六郎(※3)など、大成した多くの人物がいます。

 宿南先生は、但馬各地の歴史を深く研究され多くの歴史書を出版されています。今回の研修会で先生は、池田草庵の誕生から郷里に戻るまでの経緯や、青谿書院での門下生への指導方法について話されました。
その中で先生は、池田草庵と坐禅とのかかわりについて強調されました。池田草庵がよく黙坐をしていたことは知られています。先生は、当時池田草庵やその門下生によって書かれた記述を研究した結果、黙坐とは坐禅に違いないと話されたのです。
 先生のこの話は、私にとって驚きでした。なぜなら、池田草庵は寺での修行経験はあるものの、宗教を嫌って儒学の道へ進んだ池田草庵が、禅に親しむとは到底考えられなかったからです。

孔子は儒学思想の中で「徳」について説かれました。この「徳」の原字(古字)は「悳」ですが、正直、素直で真っ直ぐな心で人生を行くという意味を表しています。
道元禅師様は只管打坐(シカンタザ)を説かれました。「ただ坐る」ということですが、成りきるということであり、心と体が一つになるということです。真っ直ぐに坐ると心も真っ直ぐになります。心が真っ直ぐになれば考えまでもが真っ直ぐになります。形は心を作り、心が整うと他人の喜びまでもが自分の喜びのように感じられてきます。

 当初私は、禅と儒学は相反する思想のように考えていました。しかし、それぞれの教えを比較してみて、多少なりとも類似点を見つけることができたような気がします。このように考えてゆくと、先生が話された「池田草庵は坐禅をしていたに違いない」ということも理解できると思いました。
私は、今回の研修会では禅と儒学思想との比較をすることによって、共通点や相違点を勉強することができました。これからも禅の教えを深めつつ、他の思想とのかかわりなどについても広く勉強してゆきたいと思いました。

(備考)
浜尾新 :東大総長を二度つとめる
北垣国道:琵琶湖疏水を開いた京都府知事
原六郎 :横浜正金銀行頭取
講演会の様子 外の小屋の扉には無数の蝋燭の炎の跡がありました。深夜になっても門下生はそれぞれに勉強していたそうです。

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