圭秀の修行日記2012/06/25

報恩坐禅会 〜ぜんしん〜 に参加して

 6月25日、京都曹洞宗青年会創立50周年記念事業「報恩坐禅会 〜ぜんしん〜」が、全国曹洞宗青年会・禅文化学林併催のもと京都国際ホテルにて開催されました。 参加者全員による坐禅会の後、基調講演会「坐禅のすすめ」をテーマとしてパネルディスカッションが行われました。

 基調講演会では、元大本山総持寺貫首、板橋興宗禅師様が講演されました。 禅師様は、坐禅についての話の中で「坐禅をすると右脳が活発になり、大局的な判断ができる」「悟るために坐禅をするのではない、ただひたすら努力しているとある日気付く」と説かれました。 また、戦後の日本についての話の中で、「日本は急速な成長を成し遂げたが、物質が豊富になりすぎてしまい、食べ物を美味しくいただくという心の持ち方から、美味しいものをいただくという考え方に変わってしまったのは残念なことだ」と話されました。

 パネルディスカッションでは、板橋禅師様をはじめ、元大本山永平寺不老閣侍局長・海久寺住職・中村老師、前臨済宗大本山東福寺派宗務総長・青木老師、NPO法人人間性探究研究所・北山先生、参禅者代表として服部氏、全国曹洞宗青年会・松岡会長の皆さんが出席し、坐禅についての意見が交わされました。

 中村老師が、故宮崎禅師様に「坐禅をしているといろいろな妄想が浮かんでしまいますが、どのように妄想を撥ねのけたらよいか」と質問された時のエピソードや、青木老師の臨済宗における公案についての話で、「富士山を三歩動かせ」という公案にどのように答えられたか、また聴講者からの質問では「私が坐禅会に訪れた寺には松が一本も生えていないのに、お堂には“閑坐聴松風”(閑坐して松風を聴く)と書かれたものがあり、どのような意味か、等などいろいろな視点からの話が出ました。

 いろいろな話の中で私は、板橋禅師様が話されたことが一番印象に残りました。 禅師様は命や仏法とは何かということについて話され、直に感じることと頭の中だけで理解することの違いについて説かれました。 そして禅師様は、見た実感、触れた実感、聞こえた実感等、直に感じることこそ命そのものであり、仏法であると説かれました。 私は今まで仏の教えを学ぶために仏教書を読んだり、宗教者のお話を拝聴してきましたが、頭の中だけで理解しようとしていたのではないか、実感を疎かにしていたのではないかと思ったからです。

 「不立文字(フリュウモンジ)、教外別伝(キョウゲベツデン)」という言葉は、禅宗の教義を表しています。 私たちは物事を伝えるために文字や言葉を使いますが、文字や言葉で伝えようにも伝えられないものがある、教典や語録を勉強しても伝えられないものがある、そのために禅は、仏道の実践、修行体験が不可欠であると説き示しますが、私は「報恩坐禅会〜ぜんしん〜」に参加して実際に坐禅をつとめ、禅師様をはじめとする老師様やパネリスト、一般参加者の皆様のお話を拝聴して、文字や言葉に束縛されない自分自身の眼を養うことの大切さを学びました。

 最後になりましたが、この度の記念事業を開催された京都曹洞宗青年会並び全国曹洞宗青年会の皆様お疲れ様でした。
板橋禅師様の講演

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