圭秀の修行日記2012/02/15

涅槃会(ネハンエ)

 永平寺など禅宗寺院では、二月一日から八日まで報恩摂心会(ホウオンセッシンエ)を修行します。 摂心会とは、心をおさめて乱さず、ひたすら坐禅に打ち込む法会(ホウエ)です。 そして、晩課(バンカ)で「佛垂般涅槃略説教戒経(ブツシハツネハンリャクセツキョウカイキョウ)」を読経し、十五日の釈尊入寂(ニュウジャク※)の日に涅槃会を修行します。

 涅槃とは、インドの言葉「ニルバーナ」の音写語で、吹き消すという意味です。 貪欲(トンヨク)、瞋恚(シンイ※)、愚痴(グチ)などの一切の煩悩の火が吹き消されている状態をいいます。 入寂に先立ち釈尊は最後の説法をされました。 その教えは、「佛垂般涅槃略説教戒経」に説かれています。 その中に次のようにあります。
 汝等比丘、當に知るべし、多欲の人は利を求むること多きが故に苦悩も亦多し。 少欲の人は求めなく欲なければ、則ち此の患いなし。
「欲の熊鷹股を裂く」という諺がありますが、欲の深い人はあれも欲しいこれも欲しい、あれもやりたいこれもやりたいと利益を求めるために煩悶(ハンモン)することが多いです。 しかし欲の少ない人は、あること一つに精神を打ち込んで励むため、あれが欲しいこれが欲しいという所得の念が起こらない、所得の念が起こらないので苦悩もまた少ないのです。

 煩悩とは、衆生(シュジョウ※)の心身を悩乱させ迷界(メイカイ※)にとどめる一切の妄念ですが、その三根元は貪欲、瞋恚、愚痴です。 欲が深いと妄想や煩悩が膨らみ、それゆえ佛智慧が暗んでしまいます。 佛智慧が暗んでしまうと無上菩提(ムジョウボダイ※)が暗黒になってしまうため環境に左右されてしまうのです。 環境に染まるので佛智慧が暗み、佛智慧が暗むと、妄想を起こしてしまうのです。 そこで釈尊は、このお経の中で
是の故に汝等當に好く心(シン)を制すべし
と説かれました。 貪欲、瞋恚、愚痴などの一切の煩悩を制止すべしと説かれたのです。 左に側(ソバダ)たず、右に傾かず、前に躬(クグマ)らず、後ろに仰がず真っ直ぐに坐る、正身端坐(ショウシンタンザ)して真っ直ぐに坐ると心も真っ直ぐになります。 真っ直ぐに坐ると心が整う、心が整ってくると他人の幸せまでもが自分の幸せのように感じられてきます。 このように釈尊は結跏趺坐(ケッカフザ※)を説かれたのです。

 十一年前の二月、得度(トクド)の師僧を探していた私は、永平寺の報恩摂心会に参加させていただきました。 故宮崎禅師様が、その最終日に教えて下さったことがあります。 それは、毎朝仏壇に手を合わせる際の心得と作法です。
「朝、仏壇に手を合わせる時には、本尊様の鼻筋に合うように真っ直ぐに線香を供え、その真っ直ぐに立てられた線香にあわせて自分の身体を真っ直ぐに整えなさい。 そして、自分が今人間として生きていることに対してご先祖様に感謝の言葉を申し上げ、三分でも五分でもよいから坐禅をしなさい。」
 み佛の教えをいただきながら正身端坐し正しき道に生きる、それこそ佛様への報恩供養であります。

(備考)
※ 入寂  :寂滅に入ること
※ 瞋恚  :自分の気持ちに逆らうものに対する怒りの情
※ 衆生  :生きとし生けるものの総称
※ 迷界  :迷いの世界
※ 無上菩提:迷いの無い最上の覚りの智慧
※ 結跏趺坐:坐禅作法の一つ。左右の足を反対側の腿の上にのせて坐ること。

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