圭秀の修行日記2011/07/01

東日本大震災ボランティアを終えて

私は、六月二十八日〜三十日、東日本大震災ボランティア活動に参加させていただきました。兵庫県の丹波、篠山、但馬の曹洞宗寺院で構成する曹洞宗兵庫県第二宗務所青年会が、五月下旬より班毎に順次現地でのボランティア活動をしておりましたので、その一つの班(八名)に同行させていただきました。
私たちの向かったのは、宮城県南部、太平洋に面した山元町にある普門寺という曹洞宗寺院でした。普門寺は海岸から約一キロメートル離れた地点に位置する寺院ですが、不幸にも三月十一日に五メートル以上の津波が押し寄せました。ご本尊は津波が迫る直前に方丈様により安全な場所に安置されましたが、本堂、庫裏の一階は倒壊し、また、境内にある二百基以上の墓石も倒壊しました。津波により墓の納骨堂に納められていたお骨までもが地上に溢れ散乱し、砂や瓦礫と一緒に境内を覆ってしまいました。作業内容は、瓦礫を取り除いた後の砂を境内裏に集めるということでした。その砂の山は、将来供養塔として祭られるそうです。
ところで、出家する前の私は、仙台市内に住み宮城県内を中心に仕事をしていました。そのため、今回のボランティア活動には感慨深いものがありました。当時の友人、知人、会社の同僚の無事が全て把握できていなかったこともあったからです。彼らの安否を心配しながらいざ被災地に足を踏み入れると、震災から三ヶ月以上経った今でも田畑には家財道具や瓦礫、衣類といった様々なものが散乱しているのでした。住宅の一階部分は倒壊したまま全く手付かずの状態で残っていたり、線路までもが津波で流されてしまったのでしょう、電車が一両だけ民家脇に取り残されていました。とっさに私の脳裏には方丈記に描かれている情景が思い浮かび、どこから復旧作業を始めるとよいか分からないほど変わり果てた現実を目の当たりにし、この世の無常、命のはかなさを感じました。
普門寺への到着後、ボランティア活動はすぐに始まりましたが、電気、ガス、水道といったライフラインが復旧していない状況の中、炎天下での作業は並大抵ではありませんでした。作業は、墓地に積もった土砂を一輪車に入れて運ぶ際、車輪が砂にはまってぬかるんでしまうのが難関でした。普門寺方丈様や普門寺近隣寺院のご指導の下、千葉県曹洞宗青年会の皆様と共に少しずつ片付け作業を行いました。作業をしながら熱中症のことを心配しない人はいなかったくらいの炎天下での作業でした。
倒壊した普門寺本堂須弥壇には、「希望・山元町」と書かれた紙が張られていました。また庫裏の軒下を見上げると、これほどの未曾有の災禍でも燕が巣を作っていました。そして成長した雛鳥たちは、私たちが作業する中、親鳥の後を追って次々と巣立っていきました。
道元禅師様は今を生きぬく、今に行うことの大切さを説かれましたが、見通しが立たない現実の中、ひたむきに復旧作業を続ける被災地の方々の精神力の強さ、また、全国から駆けつけ共に苦しみ、共に励ましあいながら一緒になって作業に当るボランティアの方々の姿を見て、人間の優しさ、絆の強さ、そして永遠の過去から永遠の未来にかけての命のつながりの中で、今を一生懸命に生きることの大切さを学びました。
この度の東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、地震、津波、原発事故などにより被災された皆様に対して心よりお見舞い申し上げます。そして、被災地の皆様のご健康と一日も早い復興を祈念し、皆様の援助や助け合いを通して被災者が困難を克服し、未来に向かって歩めるようにお祈り致します。


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