圭秀の修行日記2010/06/24

檀信徒本山(総持寺)研修会を終えて

 6月22日から24日までの3日間、曹洞宗兵庫県第二宗務所主催の檀信徒本山研修会が行われました。 この研修会は毎年行われており、各御寺院と檀信徒の皆さんが永平寺(福井県)や総持寺(横浜市)での修行を通して共に仏の教えを学び、また、観光地巡りをしながら寺檀の親睦を深めることを目的としています。 今年の研修会は総持寺で開催されました。 但馬から18名の僧侶と157名の檀信徒が参加し、研修会が終わってからは曹洞宗の名刹最乗寺(サイジョウジ:南足柄市)や久能山東照宮(静岡市)、わさび工場(静岡市)等を観光しました。 永源寺からは私を含め8名が参加し、朝6時に養父市役所前を出発してバスで一路神奈川県を目指しました。

 初日は、移動日ということもありほぼ一日中車中で過ごしました。 良いお天気に恵まれたお陰で富士山を拝むことができましたが、本山に到着した時にはすでに午後5時になっていました。 開講式の後、薬石(ヤクセキ:夕食)をとり、夜の坐禅修行や本山御老師による法話を拝聴しました。 それが終わって、長旅の疲れを取るべく午後9時には開枕(カイチン:就寝)となりました。

 翌日は、午前3時30分の振鈴(シンレイ:起床)の後、40分間の坐禅修行や、朝課(チョウカ:朝のおつとめ)をつとめ、境内の諸堂を拝観し、小食(ショウジキ:朝食)を済ませるとすでに閉講式の時間となりました。 檀信徒の皆さんは、本山という日常と違う環境で早朝からいろいろな行事に追われました。 しかし、皆さんの表情はこの過密スケジュールを無事に研修できたという達成感に満ちていました。
 
 総持寺を下山する間際になってこのようなことがありました。 私が外を眺めていると、男女を問わず多くの檀信徒の皆さんが宿坊から外に出て、バスの停車場とは違う方向に向かって黙々と歩いてゆくのです。 二日目は昨日の快晴が嘘のよう、早朝から土砂降りの天気でした。 傘を差しても服がビショビショに濡れる悪条件の中、彼らは一人また一人と消えてゆきました。

 私が行き先を心配していると、約20分後、彼らは服を濡らしながらも笑顔で帰ってきました。 そして、「ここに来た甲斐があった」「お花が一杯だった」「裕ちゃんのお墓参りができてよかった」などと口々に感想を述べるのでした。
 私は彼らのほんのつかの間の不在を心配していたのですが、姿を見せて口々に言う感想を聞きようやく問題が解けました。 先ほど外出された皆さんは、下山間際の空いた時間を利用して故石原裕次郎さんのお墓に参っていたのでした。 外出された皆さんは、希望がかなって安堵の表情を見せていました。

 総持寺は、来年にご移転100年を迎えます。 もともと石川県の能登にありましたが、火災により全山が焼失しました。 しかしこのことを機会に、時勢を鑑みて首都に近い地への移転が議論され、明治40年に移転、明治44年に遷祖式が挙行されたのです。 総持寺では2月の節分追儺式(セツブンツイナシキ)の大行事をはじめ、月例の法話会や坐禅会などに各地からお参りがあります。

 話が少し変わりますが、最近、寺院に対してこのような感想が多くなってきました。
「敷居が高い」「寺と世間の距離に隔たりがある」「葬儀や法事といった暗いイメージ」などです。 以前はお寺というと地域住民の憩いの場所であり、習字のお稽古をしたり境内で遊んだりと多くの人が集いました。 しかし、無縁社会という言葉に代表されるように寺院についても寺離れが叫ばれるようになりました。
 永源寺では、三佛忌をはじめ年末年始やお盆の行事、その他の法要にて皆さんにお参りいただいていますが、本山を見習い、参拝者が自然と境内に足を運ぶ環境作りに一層力を入れる必要があると思いました。 今まで以上に地域に密着した寺院形成作りに励んでゆこうと思います。

最後になりましたが、曹洞宗兵庫県第二宗務所長様始め、関係寺院、参加された檀信徒の皆様、3日間お疲れ様でした。



5号車の皆さんで記念写真

坐禅修行


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