圭秀の修行日記2010/04/26

東大寺・仏法興隆花祭り千僧法要に参加して

 今年は平城遷都1300年の節目の年です。 奈良市では4月24日よりその記念祭が行われています。 開会初日、平城宮跡会場では来場者数が3万4千人にも上ったというニュースが流れました。 その2日後の26日、その会場から東へ4キロメートルほど離れた東大寺において仏法興隆(ブッポウコウリュウ) 花祭り 千僧法要が行われました。

 東大寺は、聖武天皇により創建された寺で華厳宗(ケゴンシュウ)の大本山です。 大仏殿には本尊である盧舎那佛(ルシャナブツ)が安置されています。 この法要は、昭和63年に全国の1000人以上の僧侶が東大寺大仏殿に参集して修行したのが始まりで、仏法興隆を祈念し毎年行われています。 今年も様々な宗派の僧侶が全国から集まり共に法要を営みました。

 先ず、私たちは控え室である東大寺本坊にて法要に関する説明を受けました。 私をはじめ全体のほぼ3分の1の僧侶が、この法要への随喜(ズイキ※)が初めてでしたので、大仏殿までの移動や堂内での並び方、法要の流れに至るまで入念な説明がありました。

 定刻なって私たちは、東大寺本坊からゆっくりと歩き、15分ほど要して大仏殿に入り登壇しました。 そして、本尊様(大仏)を囲むように座った後、大般若経600巻を転読(テンドク※)する祈祷法要を行いました。 この法要では、僧侶は太鼓の音にあわせて摩訶般若波羅蜜多心経などのお経を唱えます。 大勢の僧侶による読経が始まるとその声がお堂の中に反響して、まるで本尊様を中心に読経の声が渦を巻いているようで、大仏殿の中は異様な空気に包まれました。

 この法要は、参拝者にとっても興味深いものだったと思われます。 僧侶は、法要中に花びらの形をした散華(サンゲ)を撒くのですが、参拝者は壇上からひらひらと舞い降りる散華をこぞって手を伸ばしながら取っていました。 また法要後に本坊に帰る途中、遠足や修学旅行で参拝していた園児や学生に花の種を配りましたが、彼らは私たち僧侶に群がりながら手を伸ばすので、あっという間に花の種はなくなってしまいました。
 天平時代は政変、干ばつ、飢饉、天然痘が大流行した時代でしたので、聖武天皇は天下泰平、万民豊楽を祈願して大仏を造立しました。 法要を終えて大仏殿をあとにしながら多くの参拝者の平和な姿を目にすると、聖武天皇の本願が現代にまで脈々と流れている思いがしました。

 聖徳太子は604年に制定した17条の憲法で、2条に次のように記しています。
「二に曰く。 篤く三宝を敬え。 三宝とは仏法僧なり。・・」

 私たちは、現代において何の不自由もなく仏の教えを学ぶことができます。 しかし、昔の日本では、遣唐使船を渡航させるも幾度となく失敗し、6度目においてようやく鑑真和上が来日するなど・・ 聖徳太子や聖武天皇が仏法興隆につとめていた時代では、様々な苦労があったことを察することができます。そのような苦難の時代があったからこそ、現代の私たちは仏の教えを容易に学ぶことができるのです。  私が今おかれている環境に感謝すると共に、平城遷都1300年という記念の年にこの法要に随喜できたことをありがたく思いました。 5月8日には永源寺でも花祭りの法要があるので、少しでも仏の教えを広めるため精進してゆきます。   

※随喜:法要に助力すること。
※転読:経典の字句を読まずに経巻の紙を繰って読誦とすること。

大仏殿へ

アショカピラー前にて


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