圭秀の修行日記2010/02/15

仏の笑みと仏の声

 追善供養という言葉があります。 それは、亡き人の冥福を祈ってそのご先祖の年忌などに、仏事を営み供養するということです。 この法事をよい機会として、普段顔を会わせることの少ない親戚が一堂に会して、お膳を囲み歓談をしながら親睦を深めるという考えもあるでしょう。 しかし、そのような法事でご先祖は笑みを浮かべるでしょうか。

 最近では、お正月でも親戚が集まることが徐々に少なくなっていると聞きます。 法事の席で久しぶりに会う遠方の親戚に対し、わざわざ足を運んでくれたことに対して、できるだけくつろいで欲しいとの施主家の気遣いは非常に大切なことです。 しかしその思いが傾斜しすぎて、供養が蔑ろになってはご先祖は喜ばないでしょう。

 近頃、私はこのような経験をすることがあります。 毎日、各伽藍の仏像に手を合わせていると、その仏像が笑っていたり、怒っていたり、悲しんでいるように見えることがあるのです。 それは、正にその時の私自身の心の状態が仏像に反映しているかのように思えるのですが、おつとめについても同じことが言えるのではないでしょうか。 ご供養の後、私たちの気持ちが達成感で満たされると、ご先祖もきっと笑みを浮かべるに違いありません。 仏の声を聞きながらご先祖も私たちも共に末永く平穏な暮らしができるよう精進してゆきます。


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