圭秀の修行日記2009/12/04

寒行托鉢修行

 12月4日、寒行托鉢(カンギョウタクハツ)という修行行事が八鹿町にて行われました。 この修行は、兵庫県の丹波、篠山、但馬の曹洞宗寺院で構成する青年会主催の行事で、毎年地域を変えながら年末に行われています。

 托鉢とは、出家者が鉢(ハツ)を携えて、食を乞うことです。 托鉢の風習はインドでは古く、佛教以前から婆羅門教やその他の教団でも行われていました。 中国や日本では多くの禅宗に伝えられましたが、他の宗派でもこれを行うことがあります。 この托鉢には、錫杖(シャクジョウ)や鈴を鳴らしながら民家の玄関先で読経する軒鉢(ケンパツ)と、読経しながら道をゆっくり歩く連鉢(レンパツ)があります。 僧侶に対して供養がなされることを施財(セザイ)といい、僧侶が在家者に仏の教えを施すことを法施(ホウセ)といいます。 僧侶は施しを受けると「施財の偈」を唱えます。

 今年の托鉢行事では16人の僧侶が参加しました。 永源寺を出発して八鹿駅や公立八鹿病院、養父市役所周辺などを巡りながら再びお寺に戻るという経路で、連鉢の形で八鹿町内を歩きました。 檀家さんの話によると、10名以上の僧侶が八鹿町内を托鉢して歩くというのは30年ぶりのことだそうです。 私にとっても久しぶりの修行だったので、托鉢の際の法衣の着方などを確認しながら当日に備えました。

 この日は曇り空の一日でしたが、やはり師走ということで強く冷たい風が一日中吹いていました。 托鉢を続けるにつれ私の体は徐々に冷え、時々網代傘が飛ばされそうになることもありました。 まだ出発して間もないにもかかわらず指先の感覚がなくなってくると、早く寺に帰って手を温めたいと一瞬脳裏をよぎることもありました。 しかし同じ状況の中、私の後方からは寒さを打ち消すほどの大きな声が聞こえてきました。 網代傘を手で押さえながら後ろを振り向くと、他の青年会の皆さんが一意専心ひたすらお経を唱えているではありませんか。 私は、その声や姿に励まされました。

 数日後、檀家さんは、
「大勢のお坊さんが列になって歩く姿に圧倒された」
「お坊さんが歩き去った後でも、唱えられたお経の余韻がいつまでも残っているようで、自然と手を合わせたくなった」といった感想が寄せられました。

 寄せられた浄財については、終了後に社会福祉協議会へ寄付させていただきました。 僧侶は、托鉢によって差別や自我を取り除く精神を養い、施主もまた托鉢によって功徳を積みます。 両者の布施には、世俗的な価値はなく清浄なる意義があるのです。 始めの頃は、脳裏にいろいろな思いがよぎり、挫折しそうになりましたが、青年会の皆様の修行する姿や、八鹿町民のねぎらいの言葉に勇気付けられ、修行を無事終了することができました。 今回の寒行托鉢についても、すべてのことに感謝し、この思いを忘れることなく今後も修行を続けてゆこうと思います。

戻る