圭秀の修行日記2008/10/06

龍献寺晋山式を終えて

 10月5日、6日の二日間、龍献寺(リョウゴンジ)二十四世加藤英徳大和尚晋山結制(シンサンケッセイ)式が行われました。 龍献寺は、京都府京丹後市網野町にあるお寺で、山号を湖秀山といいます。 建治2年(1275)、大本山永平寺(エイヘイジ※)五世義雲禅師(ギウンゼンジ※)様が観音霊場巡拝のさ中、天橋立の北方にある成相山(ナリアイサン)に参籠した折、奇瑞を感じ、近郊の信徒が一宇を建てて龍献寺と名付けた歴史あるお寺です。

 新命方丈(シンメイホウジョウ※)となられる加藤様は京都市のご出身で、長期間会社員として働いていましたが一念発起して出家されました。 その後宝慶寺(ホウキョウジ※)での厳しい修行を経て、この度当寺に晋山されました。 私は7年前、出家を志して各寺院を巡っている時に宝慶寺にお世話になることがありました。 その時に加藤さんと知合い、そのご縁により晋山結制式に随喜(ズイキ※)させていただきました。

 この式では、晋山式(シンサンシキ※)、晋山開堂(シンサンカイドウ※)、首座法戦式(シュソホッセンシキ※)、檀信徒総回向(ダンシントソウエコウ※)等の各法要が行われます。 今回、私は法要の準備と進行のお世話をする役目を担いましたが、予定時間通りに儀式を進めるために、何度も時計を確認する二日間を送りました。 全ての儀式は無事円成し、ご協力いただいた御寺院、檀信徒の皆様には心より感謝申し上げます。


 私が今回の晋山結制式に随喜して一番印象に残ったことは、20名ほどの外国人が参列していたことです。 法要後に彼らに話を聞いてみると、彼らはアメリカの大学生で日本の仏教を学ぶために来日していることを知りました。 数ヶ月間日本の各寺院で修行する中、丁度宝慶寺に滞在していた時、龍献寺晋山式のことを紹介され駆けつけたのでした。 彼らは大声で激しく問答を交わす首座法戦式では、僧侶の迫力に圧倒されたといっていました。

 今、世界では急速にグローバル化が進んでいます。 各分野において国と国との垣根が低くなり、政治・経済の分野からスポーツや食文化に至るまで、グローバルな視点での考え方が必要とされるようになりました。 私について申しますと、出家を志してまだ間もない頃、お寺のことなど皆目分からなかった私に坐禅の仕方を教えてくださったのは、曹洞宗(ソウトウシュウ)僧侶で仙台市在住のポーランドの方でした。 また、その頃、なかなか出口の見えない師匠探しの旅の途中、疲労がたたって滞在先のお寺で体調を崩してしまった時に、東洋医学により治療してくださったのも、同じく曹洞宗僧侶で金沢市在住のイギリス人の方でした。 道元禅師(ドウゲンゼンジ※)様が「本来本法性、天然自性身(ホンライホンポッショウ、テンネンジショウシン※)」という疑問を抱き、その答えを見つけるために中国に渡ったように、彼らもまた真の仏法を学ぶために海を渡って来日しているのです。

 修証義のはじめに「人身得ること難し、仏法値うことまれなり(ニンシンウルコトカタシ、ブッポウアウコトマレナリ)」とあります。
 私は、今までの功徳や恵みにより命をいただき、さらになかなか巡り逢えない仏の教えに出会うことができました。 この命を正しい行いのために使い、仏の教えを多くの人に広めてゆけるように精進してゆこうと思った晋山結制式でした。 新命方丈様始め、この度の儀式における関係各位の皆様方、ありがとうございました。

(備考)
※永平寺 :福井県吉田郡永平寺町にあり、山号は吉祥山。道元禅師開創。
※義雲禅師:(1253〜1333)曹洞宗寂円派の僧侶で、永平寺の中興と称される。 24歳の時に宝慶寺寂円禅師に参じて嗣法し、宝慶寺二世となる。
※新命方丈:新しく任命された住職。
※宝慶寺 :福井県大野市にあり、山号は薦福山。 開山は道元禅師を慕って中国から渡来した寂円禅師。
※随喜 :法要に助力する寺院を随喜寺院という。
※晋山式 :新しい住職が寺院に入る儀式。
※晋山開堂 :新しく寺院に入った住職が多くの方々に法を説く儀式。
※首座法戦式:法戦式は、多くの僧侶が集まって修行する結制(ケッセイ)の期間に行われます。結制とは、修行道場において夏と冬の年に二回、3ヶ月にわたって行います。 この期間中に修行の仲間を導いてゆくリーダーの僧侶を首座和尚(シュソオショウ)といいます。  首座和尚が住職に代わって修行僧たちと問答をして、どれほど仏教を理解しているかを試す儀式が首座法戦式です。
※檀信徒総回向:檀信徒のご先祖に対する供養法会。
※道元禅師 :(1200〜1253)永平寺開山。日本曹洞宗の開祖。18歳で建仁寺の明全様に師事し、その後中国に留学。天童山景徳寺如浄禅師の法を嗣いで帰国。著書に「正法眼蔵」等がある。
※本来本法性、天然自性身:生きとし生けるものは、その身そのまま本来仏であるならば、不要であるはずの修行をなぜしなくてはいけないのか。

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