圭秀の修行日記2008/06/10

竹原祖燈師出家得度式に想う

 仏教書の中にこのような話があります。 出家をして戒を受けた尼僧のことを比丘尼(ビクニ)といいます。 昔、印度に蓮華のように美しい比丘尼さんがいて蓮華色比丘尼(レンゲシキビクニ)といいました。 この人の前身は芸者であります。 ということもあったのでしょうか、印度のことでありますから、お客様を嬉しがらせる為にお袈裟をかけて坊主踊りを踊ったのです。 別にお袈裟がありがたいという心があったわけでもなく、ただ客を喜ばせるためにお袈裟を掛けて踊ったのです。 ところが、掛けたお袈裟の功徳により次の生には迦葉佛(カショウブツ)という仏様のお弟子になって比丘尼さんになったのです。 しかし前の身体が芸者であったため、比丘尼さんになってもいたずらをしてしまい、そのために羅漢(ラカン)様にはなれませんでした。 それから生まれ変わった第三生に、今度はお釈迦(シャカ)様のお弟子となり比丘尼さんになって羅漢様になられました。

 さて、話は変りますが、平成20年6月10日、智源寺(京都府宮津市)にて竹原祖燈上座(ジョウザ※)出家得度式が行われました。 竹原さんは、山口県出身の26歳の青年です。 建築関係の会社で働いていましたが、一念発起して世俗の生活を離れる決心をし、仏門を叩いたのです。 高橋方丈様の7番目の弟子となります。 竹原さんはしばらくの間、智源寺で参禅者という立場で生活を送っていましたが、いよいよ出家者として仏道を歩むべく、この度出家得度式を行うことになったのです。

 私は得度式に随喜(ズイキ※)させていただき、その中で行じられる竹原さんの髪を剃り落とす剃髪(テイハツ)の儀式等の世話をさせていただきました。 私は、その式の中で白衣姿だった竹原さんが徐々に一人の僧侶となってゆく姿を見ながら、自分の出家得度式のことを思い出しました。 私の場合は、働いていた会社を辞め出家することを思い立ってから、師匠探しに時間を要し、永源寺にて高橋方丈様に相見(ショウケン※)するまでに長い月日が経っていました。 寺のあり方やしきたり、一日の流れ等すべてにおいて全く無知であった私は、無鉄砲に宗派を問わず寺の門をたたき、出家したいという自分の意思を伝えましたが、ことごとく門前払いされました。 しかし、暗中模索の日々を続けながらも各宗派の僧侶や寺族の方に接するに連れ、自分の考えに合った宗旨がより鮮明となり、最終的に永源寺において、高橋方丈様に出家得度することを許していただきました。 髪を剃るということは私自身のみならず、家族にとっても一大決心を必要としますが、その中で出家を望んでもご縁がなかったり、諸事情があいまって得度できない人がいる中、お袈裟を掛け仏道修行ができることはとても有難いことであると今でも感謝しております。

 前世の功徳により今こうして仏道を修行できる。 今生で仏様になれなくとも次の生に仏様になる。 幾度生まれ変わっても生まれ変わる度に仏道を修行する。 出家した当初の初心を忘れないようにこれからも精進してゆきます。

(備考)
上 座:出家得度後、入衆して未だ立身しない以前の僧階を指す。
随 喜:法要に助力する寺院を随喜寺院という。
相 見:拝顔する。

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