圭秀の修行日記2008/06/07

永源寺28世就任の御挨拶

 暑さ厳しき折ではございますが、檀信徒の皆様方におかれましては益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。
 この度、高橋前住職のご推挙によりまして、不肖私が四百年近きに亘る永源寺の法灯を継承させていただくこととなりました。 私は、七年前、自分の人生の行く末を案じながら八鹿の駅に降り立ちました。 それが、私の八鹿町への第一歩でした。 それから今日に至るまで修行を続けることができたのも師匠をはじめ、皆様方のご支援、ご指導の賜物と心より感謝申し上げます。 もとより修行年数も短く、浅学非才な者ではありますが、皆様のご指導とご協力を頂きながら寺を守ってゆく所存ですので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 さて、私たちは毎日の情報に耳を傾けますと、社会生活上には様々な問題があることに気付きます。 戦後、日本は経済や科学技術の分野において目覚しい発展を遂げましたが、近年、生命尊厳の軽視、モラルの低下が叫ばれるようになりました。 有り余る物質に取り囲まれた私たちは、その状況に甘んじる一方で人格形成教育を軽んじ、人間としてのバランスを失いつつあります。 それ故、現代が「心の時代」と叫ばれている所以かと思われます。

 時々私は、会社員として働いていた頃を思い出しますが、当時の私は非常に物欲があり、あれもこれも欲しいという意識が先行していました。 しかし、次々と品物を購入する反面で心の安寧を得ることはありませんでした。

 出家後、私は永平寺で修行します。 上山当初、厳しい修行に本山での生活を続けてゆけるのか、幾度となく頭を抱えました。 しかし、半年を過ぎる頃からその気持ちは薄れ、一年が過ぎる頃にはもう少し留まりたいと思うようになりました。 下山した今でも機会があれば本山へ行きたいという気持ちに変わりはありません。 ある日私は、その理由を考えたことがあります。 その理由とは、物質が乏しく修行の厳しい永平寺において、私は人間の優しさや絆の強さ、そして自分自身の心の安寧に気付いたのです。 そして、心の安寧を得るには精進が不可欠であることを気付かせられました。

 話は変わり近年の永源寺は、ここ十年間で坐禅堂をはじめ、庫裏の改築や駐車場の整備など、大きな建設事業が終わり、各伽藍の整備はほぼ完璧に整いました。 これも檀信徒の皆様方の多大なるご理解とご協力のお陰と厚く感謝申し上げます。 今後は前住職同様、これらの各伽藍を活用しながら檀信徒教化研修等を通して釈尊の教えを伝え、永源寺が皆様に心の安寧をもたらす場となるように精進を積み重ねてゆきたいと思います。

入寺式(ニュウジシキ)写真

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