和尚の修行日記2008/02/04

 命の炎

 立春というと暦の上では春の初めを意味しますが、現実となると一年で一番寒いのがこの時期です。 境内は今年も雪に覆われ、一日も早く暖かい日が訪れて欲しいと待ち望む毎日が続いています。 しかしながら、辛いのは人間ばかりではありません。 山に住む鳥や獣たちもまた、寒さに耐えているのです。 自然界の現実は厳しく、この時期に力尽きて死んでゆく動物は少なくありません。 永源寺境内でもこのことは例外ではなく、裏庭の雪かきをしていると、動物の死骸を時々見かけます。 そして私はその都度、穴を掘って読経しながら埋めてあげます。 しかし、三途の川を渡る寸前で、ありったけの力を振り絞りながら再び命の炎を燃え上がらせようとする生き物もいます。 今月はこのような出来事がありました。

 一晩中、雪が深深と降り続いた翌朝、私が雪かきをしようと裏庭へ一歩一歩足を踏み入れて行った時のことです。 突然、「バサッ、バサッ、バサッ」と数羽の鳥が岩の陰から上空へ飛び立ったのでした。
 私は、突然の出来事に驚いてしまいました。 一瞬、何か獣がいるのではないかと不安に思いました。 それでも恐る恐るその岩に近づいて行くと、そこには一羽の山鳥が蹲っていたのでした。 その山鳥は、体長10センチメートルほどの茶色い羽を持つ鳥で、体を丸く膨らませていました。 まだ完全に成長していない雛鳥のようにも見えます。 その山鳥は、私が横に座っても全く逃げる気配はありません。 ただ心臓の鼓動が、その山鳥の体を大きく波打たせていました。 私はこの時、先ほど上空へ飛び立った鳥がこの山鳥の親で、弱った子供を心配してそばで見守っていたのだと思いました。

 このような出来事は、今回が初めてではありませんでした。 昨年末にも同じような小鳥の例はありました。 その時は小鳥は何とか元気になり、大空に飛び立ってゆきました。 しかしながら、私はこのような経験を重ねるたびに、それぞれの生き物の生命力の強さを感じます。 小鳥のような小さな体でも、精一杯の力を振り絞って生きようとする姿勢に心を打たれます。 それぞれの因縁によって命の炎が燃え尽きるまでの長さは違うにせよ、命の尊さには大小はないのだという結論に達します。
 今回の山鳥は、境内の庭木につかまってなかなか大空に飛び立ちませんでしたが、数十分後、ようやく羽ばたいてゆきました。 その光景を見ながら、親鳥に再会できますようにと願う圭秀でした。

立春の 雪間にうずまる 山鳥に 川渡るなと 願(がん)繰り返す   

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