圭秀の修行日記2008/01/21

故宮崎禅師様のお言葉      

 禅宗寺院には、ある一定期間、早朝より就寝まで坐禅堂にてひたすら坐禅修行に打ち込む法会があります。 これを摂心会(セッシンエ)といいます。 釈尊成道の日を偲んで十二月一日〜八日未明にかけて行われる臘八(ロウハツ)摂心会や、釈尊入滅を追憶して二月一日〜八日未明にかけて行われる報恩(ホウオン)摂心会などがあります。

 私は、得度の師匠を探していた頃の平成十三年二月、永平寺の報恩摂心会に参加させていただいたことがあります。 この年も永平寺は雪が多く、寒い中、おつとめの時も、食事の時も朝から晩まで坐禅しっぱなしの一週間は、摂心会初参加の私にはとても辛い修行でした。 長時間の坐禅を続けるうちに脚とお尻が痛くなり、脚を組みかえるもののその痛さから解放されることはありませんでした。 楽しい時は時間があっという間に過ぎてしまいますが、この時は正反対でした。 一呼吸の間に百年ほどの時間がゆっくりと流れているように思われました。 私には一呼吸一呼吸をただ噛みしめながら時の去るのをいただくほかありませんでした。

 しかし摂心会最終日のことでした。 思いもよらぬ出来事が私たち参禅者に待っていたのです。 それは、永平寺貫首の故宮崎奕保(ミヤザキエキホ)禅師様と面会できるという機会に恵まれたのでした。 そして更に嬉しいことに、参禅者それぞれが自己紹介をした後で禅師様から一人ずつお言葉をいただくことができたのです。
 いよいよ私が自己紹介をする番となりました。 緊張のあまり今までの脚の痛さなどどこかへ飛んでしまった私が、
「青森県から参りました佐々木圭秀と申します。 摂心会には初参加です。」
と唇を震わせながら言うと、禅師様は私の名前を聞くなり、
「あなたは坊さんだな。」
と、一言おっしゃったのでした。
 私は出家を志してはいましたが、その頃はまだ僧侶ではありません。 しかし、突然そのようなお言葉をいただいたことで私はそのお言葉の意味が分からずきょとんとしてしまい、禅師様との会話はそこで終わってしまいました。 その後私は得度し、一介の僧侶となり永平寺にて修行した際も、早朝に修行僧と共に坐禅をされるお姿等拝見することはありましたが、実際に会話をしたというのは後にも先にもこの報恩摂心会での面会の時以外はありません。 とても短い会話でしたが、後年禅師様のお言葉を思い返してみると、禅師様はいずれ私が僧侶となるであろうことを見通しておられたのかなあと思う今日この頃です。

 その禅師様が報恩摂心会の折、私たちに教えてくださったことがあります。 それは毎朝仏壇に手を合わせる際の心得と作法です。
「朝、仏壇に手を合わせる時には、本尊様の鼻筋に合うように真っ直ぐに線香を香炉に供え、その真っ直ぐに立てられた線香に合わせて自分の体を真っ直ぐに整えなさい。 そして、自分が今人間として生きていることに対しご先祖様に感謝の言葉を申し上げ、三分でも五分でもよいから坐禅しなさい」

 宮崎禅師様は一月五日、百八歳というお歳で遷化されました。 宗門発展のため、多大な御遺徳を残された禅師様を惜しみつつ、感謝の誠を申し上げ心より増崇品位をお祈りいたします。 そして、あの時の禅師様のお言葉をありがたくいただき、これからも精進してゆこうと思います。

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