圭秀の修行日記2008/01/02

思えば遠くへ来たものだ(曹洞宗但馬寺院伝道紙「道交1月号」より)

 「この道より我を生かす道なし」この気持ちで臨んだ平成13年の夏、私の人生は油蝉が鳴き叫ぶ中行われた得度式から大きく変りました。 高校卒業まで青森県で育った私は、大学では機械工学を専攻し、大学卒業後はCTやMRIなどを製造、販売、サポートする会社に就職しました。 私自身、日常の生活では不自由さはこれといって感じていなかったため、サラリーマンであった父同様、定年退職するまで会社員としての人生を送るのだろうと思っていました。

 しかし20代半ばになって転機が訪れます。 私は、出家を志したのです。 人生という名の歯車が、因縁という強烈な力によって動きを変えられることを痛感した時でした。 その後 約半年間、実家のある青森県を拠点として得度の師匠を探しました。 宗派を問わず東北、関東、北陸の寺の門を叩き、法話の聴講や坐禅会に進んで参加しました。 そのような中、宝慶寺(福井県大野市)ご住職の紹介をいただき永源寺に行くと、有難いことに師匠はすぐに私の出家の希望を聞き入れて下さいました。 永源寺は青森県出身の西有禅師様とご縁のある寺で、私は以前より禅師様のことを尊敬していたので、この寺で得度させていただいたことを大変感謝しています。

 私にとって関西というのは未知の世界でした。 勿論、知人もいません。 関西といえば、ずーずー弁の東北弁とは対照的な関西弁のイメージが強く、言葉は通じるのか心配しました。 また、仏門に入ることへの不安もありました。 お寺というと精進料理。 年中無休で、毎朝早起きをして、おつとめをしなくてはいけない所です。 会社で働いていた頃のように休日には夜遅くまで飲み歩き、翌朝まで歌って踊っての夜更かしはできないのです。 衣服は洋服から和服に変り、頭は丸坊主です。 また、外見ばかりでなく内面も180度方向転換が必要になります。 会社員時代は自分をPRして競争に勝ち残るために努力していましたが、仏の世界では修証義というお経にも「己未だ度(ワタ)らざる先に一切衆生(シュジョウ)を度さんと発願(ホツガン)し営むなり・・・」とあるように、自分よりもあらゆる人々の為に願いつとめなければならないのです。 出家以前の私の人生をすべて否定されるようなもので、まったく新しい世界に飛び込むに当り、両親と私には強い決心が必要でした。

 あれから6年が過ぎた今、当時のことを振り返ると、いろいろな意味で出家以前とは全く違う世界へ来てしまったことを再認識します。 以前の私は、永源寺の一日・一年の流れが分からない、なかなかお経が覚えられない、着物をうまく着こなせない、師匠や他の御寺院様、檀家さんとの応対の仕方がわからない、買い物に出ても今いる自分の居場所が分からないといった状況でした。 今ではお陰様で徐々にお寺の生活にもなれ、御寺院様や檀家さんとの会話も自然になりました。 ご迷惑をかけながらも今まで何とかやってこれたのも師匠をはじめとする皆様方の支えがあったからだと思います。

「たった一度の人生、泣くも笑うも我次第」まだまだ仏道修行という険しい山道は続きますが、どこまで到達できるか分からないにせよ、今まで同様これからも精進してゆこうと思います。

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