圭秀の修行日記2007/09/13

初めてのお袈裟縫い(十三条割截衣)

 私たち僧侶はお袈裟というものを身に着けますが、それは僧侶にとってとても大切なものです。 袈裟という言葉は、梵語「カサーヤ」の音写で、汚れた色を意味しています。 更に、お釈迦様の着物をも意味しています。 出家者の衣服は世間的執着の対象にならないものが理想とされ、捨てられた布片を集めて縫い合わせ作られていました。 これを糞掃衣(フンゾウエ)といいます。 人の欲望の対象にならない釈尊のお袈裟をまとうことで、煩悩からの解脱、悟りという福を生み出し、心の動揺がなくなります。 道元禅師(ドウゲンゼンジ※)様も正法眼蔵(ショウボウゲンゾウ※)袈裟功徳の巻の中で、「袈裟を掛けることの功徳は広大無辺であり、袈裟を掛けることによって一切の悪を断じ、悟りを得られる」と説いています。 法衣(ホウエ)という時には、袈裟と衣の二つを意味しますが、左肩に掛けて右肩を出しているのが袈裟で、禅宗では法の伝授を証明する法物の一つとして重要視されています。 お袈裟の形状は長方形ですが、布片の条数により五条衣(内衣・安陀衣)、七条衣(上衣・鬱多羅僧)、九条衣以上(大衣・僧伽梨)の三種類に分類されます。

 ところで、私が縫い物をしたという記憶をたどってみると、エプロンを作った小学校の家庭科の時間までさかのぼります。 それ以後、これといって縫い物による作品はありませんでした。 しかしこの度、嗣法(シホウ※)という師弟の大切な儀式のためにお袈裟を自ら縫うことになったのです。
 毎日お袈裟を纏ってはいますが縫うとなると話は別でした。 お袈裟縫いに関する書物を読みましたが、どのように始めてよいのか把針(ハシン※)のいろはを中々飲み込むことができません。 そこで私は、師匠が兼務されている智源寺(チゲンジ:京都府宮津市)でのお袈裟の会に参加することを決めました。 智源寺では、毎月一度、見昌寺(ケンショウジ:福井県小浜市)ご住職、山口道然師によるお袈裟の会が行われています。 そして、修行僧は先生の指導の下自分が纏うお袈裟を縫っているからです。

 私は先生の指導の下、衣財(エザイ※)を麻として十三条のお袈裟を作ることになりました。 お袈裟の形というのは横長の長方形ですが、縦横の寸法は纏う僧侶の身長で決まります。 身長177センチメートルの私の場合、お袈裟の大きさは、縦幅は約132センチメートル、横幅は約215センチメートルとなり、十三条につき横布片は十三枚に分かれ、さらにその一幅は縦に三枚(両長一短※)に分けられます。 つまり三十九枚の衣財を縫い合わせてゆくのです。 さらに九条以上の大衣では裏布を縫い合わせます。

 私は先ず三十九枚の衣財に裏布を縫うことから始めました。 お袈裟を縫う際には却刺(キャクシ)という縫い方をします。 返し縫の要領で4〜5ミリメートル間隔で一針一針ごとに表に通しては縫い返して進めてゆく縫い方で、お袈裟は却刺縫いが佛制であります。 しかしこの作業が縫い物の経験のない私には辛い修行となりました。 とにかく目が疲れてしまうのです。 一枚の衣財を縫い終わる頃には体がぐったりとしました。 それでも来月のお袈裟の会までに全ての衣財に裏布を縫い合わせようと、暇さえあれば一心不乱に針を進めました。

 一心不乱での把針がよかったのか、疲れを抑えるコツが分かってきました。 それは、手元を明るくする、絎台を使う、できるだけ広いスペースで縫う、糸を長めに取らず、絡まない程度に適当な長さで縫い進めること等です。 目や体の疲れが幾分解消され、姿勢はよくなり、把針スピードは少し上がりました。

 私はお袈裟の会初参加の際、見昌寺様が把針されたお袈裟を見せていただきましたが、縫い目の細かさに圧倒され、自分のお袈裟を完成させることができるだろうかと不安になりました。 しかし、実際に針を進めてゆくといつの間にかお袈裟の魅力に取り付かれ、把針することに喜びを感じていました。
 縫い始めてちょうど三か月が過ぎようとする頃、お袈裟は完成しました。 今回の把針では師匠が助針してくださったこともあり、出来上がったお袈裟には思い入れが強く、縫い跡を見るたびに、製作中の思い出がよみがえります。

 ある日、法事のおつとめの後お袈裟について話すことがありました。 衣財の種類や、お袈裟のつくり、縫い方などの話をしてゆくと、裁縫好きの檀信徒の方が、次のような歌を作ってくださいました。
 返し縫 返し縫して 麻の袈裟
     麻の袈裟 手縫い力作 糸のより
         手縫い袈裟 そっと我が身に まとわせて(K.M.)

 曹洞宗ではお袈裟を纏う前に頭に載せ、搭袈裟(タッケサ)の偈を唱えます。
大哉解脱服(ダイサイゲダップク)  大いなるかな解脱服
無相福田衣(ムソウフクデンエ)    無相の福田衣
披奉如来教(ヒブニョライキョウ)    如来の教え(戒)を披奉りて
広度諸衆生(コウドショシュジョウ)   広く諸の人々を度せん
 お寺の晋山式の際、檀信徒の皆さんが着なくなった着物や帯などを喜捨してもらい、新しい住職のお袈裟を縫うという話を聞きます。 師匠の永源寺晋山の際にも、檀家さんがお袈裟を縫われたそうです。 釈尊以来二千余年続いてきた仏の教えとお袈裟の功徳を普くお伝えできるよう、今後、どなたでも一針でも把針していただける機会を作ってゆきたいと思いました。


(備考)
※道元禅師:(1200〜1253)。鎌倉期の僧で、永平寺開山、日本曹洞宗の開祖。京都の人で、内大臣久我道親の子。「正法眼蔵」「普勧坐禅儀」「典座教訓」等の諸巻を説き示した。
※正法眼蔵:道元禅師が書いた95巻からなる書物。正法は正しい仏の教え。眼蔵はあらゆるものをうつし、包む仏の功徳をあらわしたもの。
※嗣法:釈尊が摩訶迦葉尊者に付嘱して後、代代面授印証して今日に至る法続を嗣続すること。
※把針:縫い物をすること。
※衣財:法衣の材料。
※両長一短:(リョウチョウイッタン)二枚の長い布片と一枚の短い布片の意。私の場合は、長(12p×44p)短(12p×24p)です。

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