圭秀の修行日記2007/03/28

霊峰白山と私

 私は、北陸金沢で学生時代を過ごしました。 入学と同時に大学の寮に入り、300人ほどの寮生の一人として、寮と大学との往来を4年間続けました。 寮は老朽化が進み、お世辞にも綺麗とはいえない所でしたが、寮費、食費が安く、月々の生活費の面では大助かりでした。 また、学生寮にはこのようなプラスの面もありました。 上回生から過去問(過去に出題された試験問題)をもらえる特典は寮生ならではでした。 そして、アルバイト情報に事欠かないこともメリットの一つでした。 私はお蔭様でその情報を頼りに家庭教師、ビルの清掃、コンビニエンスストアの店員、スキー場での接客から、コンサートの音響補佐、はたまた北陸各地で行われる祭りでの露天商のアルバイトまでいろいろと経験することができました。 今振り返ると、それらは現在に至る私の人生にプラスとなっています。

 4年間やり通したアルバイトの一つとして、白山(ハクサン)での仕事が挙げられます。 白山という山は、福井、岐阜、石川三県に跨り、標高2,702メートルの高山です。 富士山、立山と共に日本三名山の一つとなっています。 御前峰、大汝峰、剣ケ峰の三峰からなり、奈良時代に泰澄(タイチョウ)により開かれた信仰の山です。 標高2,450メートルの室堂平は寛政年間(1789〜1801)から小さな室堂(行者室)が置かれていたところで、現在は室堂ビジターセンターや宿舎があり、毎年多くの登山者が春から秋にかけて、砂防新道(標高1,250メートルに位置する別当出合を基点とする)などの様々な登山道から頂上を目指します。 白山でのアルバイトというのは、その室堂に長期間住み込んで、登山者の宿泊や食事の世話をする仕事です。 このアルバイトは学生同士の口コミにより先輩から後輩へと伝わり、毎年金沢市内の大学生や看護学生等がこの仕事を担っていました。 仕事内容は男女で大まかに分けられ、男性は室堂の掃除、登山者の宿泊場所への誘導、食料や燃料の運搬等の仕事をして、女性は厨房での食事の支度や売店や喫茶の手伝いをします。

 白山は標高が高いため、夏といっても雪は多く残り、朝晩の冷え込みはとても厳しくなります。 さらに梅雨明けまでは室堂内の湿度は非常に高く、洗濯物がなかなか乾かない日が続き、登山者に貸し出すマットや毛布はひんやりとします。 長期間悪天候が続くとヘリコプターでの食糧輸送が困難なため、室堂の従業員が30〜40キログラムの食料を背負い、室堂まで運ぶこともあります。
 しかし、ジメジメした天候が続いた後の快晴の日は私たちの心を和ませてくれます。 私たちは燦燦と大地を照らす太陽に感謝し、朝からすべての建物の窓を開け放って、マットや毛布を室堂の屋根に上げて乾かします。 仕事が一段落した後の休憩時間に、屋根の上でマットに寝そべりながらいただくコーヒーは格別です。 雲海を見下ろし、野鳥の囀りを聞き、心地よい日差しを浴びていると自然と笑顔がこぼれ、会話も弾み、笑い声を上げながら持参したカメラで風景や表情を撮影しました。 幸せは日中ばかりではありません。 夜になっても晴れている時には、満天の星空を見上げ、福井市内の夜景から遠く名古屋の夜景までも見下ろしながら、ほのかに灯ったランプの炎をみんなで囲んで談笑しました。 また、流星群の現れる時期には室堂の従業員、登山者がみんなで空を見上げ、次から次へとあちらこちらから流れる星を見て感動しました。

 毎年、決まって白山に登ってくる一団の人たちがいました。 永平寺の僧侶の皆さんです。 大体、3 班に分かれて登ってきました。 彼らは先ず、到着日の午後に室堂の前に建つ白山比盗_社(シラヤマヒメジンジャ)奥宮に向っておつとめをし、翌朝、御来光を拝むために室堂から頂上へと登ってゆきました。 私は、黒い衣装を着た僧侶が一列になって頂上を目指す光景を遠くから見て、失礼ながら蟻の行列を連想してしまったことを覚えています。

 道元(ドウゲン)禅師様の入宋帰朝の前夜、白山妙理大権現(ハクサンミョウリダイゴンゲン)が碧巖録(ヘキガンロク※)筆写の助筆をしたといわれています。 現在、私たちは毎朝本堂でのおつとめが終わった後、自分の部屋に戻り、龍天護法善神(リュウテンゴホウゼンジン※)、白山妙理大権現と併せて書かれたお軸に向かいおつとめをしています。 このように白山は私たち曹洞宗僧侶にとってとても関係深い山です。

 永平寺の僧侶が、下山する前に室堂受付前で点呼を取っていた時のことです。 「シンニンさん、コウユウさん、ケイシュウさん、リュウゲンさん・・・」 と点呼を取る声が聞こえてきた時、自分が呼ばれたのかと勘違いして返事をしてしまいました。 周りにいた仲間に「圭秀、おまえ坊さんになるのか?」と冷やかされ、顔を赤くしてしまった思い出があります。 その時、自分が将来僧侶になるなどとはみじんも思ってはいなかった私ですが、平成15年夏、永平寺での修行中に、逆の立場となって白山に登らせていただきました。 その際、図らずも当時のアルバイト仲間と出会うことがあり、働いていた時のことを思い出し懐かしくなりました。 そして、白山が導いてくださったご縁に感謝しました。

 大学一年生の夏、初めて登る時に私は次のことを先輩に教えていただきました。 それは、登山時のコツで“一旦歩き出したら、できる限り止まって休んではいけない”ということでした。 その先輩はさらに次のように付け加えました。
「山の斜面には、急な所、平坦な所いろいろあるが、急なところはゆっくりと蛇行しながら歩き、平坦な所ではゆっくりと直進しつつも呼吸を整え、体を休ませながら歩きなさい」
 人間は面白いもので、一度立ち止まると休み癖が付き、歩き始めてもすぐにまた立ち止まってしまうそうです。 長い目で見た場合、少々距離が長くなったとしても休まず歩いていた方が早く頂上に辿り着けると教えて下さいました。
 大学4年間で数十回の白山登山を経験したことで、今では登山道を大体把握し、自然と歩くコースやスピードを調節できるようになりましたが、白山初登山で先輩からいただいたアドバイスは、非常に有難いものでした。 山の頂上が見えなくとも、休まずとにかく一歩一歩進んでゆくと、いつしか到達できることを4年間の白山登山で教えてもらいました。

 仏道修行も同じこと。果たして一生のうちにどこまで登ることができるかわかりませんが、少々蛇行しながらも亀の如く歩いてゆきたいと思います。 そして、思い出多い白山にご縁をいただくことがありましたらまた登ってみたいと思っています。

(備考)
※龍天護法善神:白山妙理大権現と併せ祭って、修行僧の修行無難・道念増進の守護神として崇拝する。
※碧巖録:碧巖破關撃節録(ヘキガンハカンキャクセツロク)。現存する最古の写本で、道元禅師様が宋より帰朝する際に碧巖録を入手し、八十則までを自ら、八十一則以後は白山妙理大権現の助力によって一夜のうちに書写し終わったという。

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