圭秀の修行日記2007/03/03

人は人をつくるため

 私は、先日、ご法事である施主家を訪ねた折、この様なご縁をいただきました。 偶然なことですが、出身大学が私と同じという方にお目にかかったのです。 その方は大学を選んだ理由として、とても特異な話ですが、「なんといっても校歌が気に入ったのです」とおっしゃいました。 そして、私との予期せぬご縁に驚きながら、懐かしさのあまり校歌を歌ってしまうのでした。 その校歌を聞きながら、ふと私は大学生活のことを思い返してみました。

 私は大学4年間を北陸の古都金沢で暮らしました。 故郷の青森から進学先として北陸の地を目指す学生はごく稀で、そこには高校の同学年の影はなく、頼る人間は自分のみという状況でした。 しかし、そこを出発点として卒業までの4年間で、学校の勉強はもちろんのこと、人間関係や社会人となるための心得など、様々なことを勉強させていただきました。

 私は、多くの友達をつくりたいということもあって大学の学生寮に入りました。 学生寮といっても近代的な造りではなく、老朽化が進んだ4階建ての汚いものでした。 1室2人部屋のこの寮には、1回生から大学院生まで、またロシアや中国等からの留学生にいたるまで合計300人ほどの寮生が暮らしていました。 名前は北溟寮(ホクメイリョウ)といい、各階毎にA、B、C、D、E、Fにブロック分けされ、合計24ブロックで構成されていました。 新入生は、入寮するとくじ引きにより各ブロックに均等に割り振られます。 自治寮のため、寮長を筆頭として会計、賄い等の各部署があり、新入生は各部署に配属され、寮は学生のできる範囲内で自らの手で運営されていました。 寮の主な行事には、春に行われる新入生歓迎コンパ、秋の寮祭、そして卒業時期の追い出しコンパなどがありました。 私たちは行事のたびに全員で校歌をはじめ、寮歌を歌いました。

 新入生は、入寮した直後から毎日帰寮後に寮歌を練習します。 晴れている日は寮の屋上で、雨の日は食堂に集まり上回生に指導されるのです。 練習初日、上回生がお手本を見せてくださったのですが、ボロボロの服を着て声を張り上げながら歌っている光景を目の当たりにし、その気迫に圧倒されて足がガタガタと震えたのを覚えています。 まさにそこには旧制高校の血が流れていました。

 寮歌は、腰に手を当て腹から声をだし、迫力ある大声で歌います。 私はあまり大声をだしたことはなかったので、慣れない寮歌練習により声のかれる日が続きました。 喉がからからに渇き、腹筋が痛くなります。 一日の練習時間が非常に長く感じられ、早く終わりたいという一心でした。 しかし、上回生は一回生の周囲でにらみをきかせ、私たちが少しでも手を抜こうものならすぐさま怒鳴りつけました。 大学の講義が終わった後、寮に帰る足取りは重く、心は憂鬱になりました。

 練習期間が終盤にさしかかる頃、私は寮の雰囲気に徐々になじみ、以前より大声をだせるようになっていました。 北溟寮に住む新入生同士で励まし合いながら練習を続けた成果がでたのでしょう。 お陰様で私の声は、この時期大きく変わりました。 現在、僧侶として読経する際の声は、その練習で作られたといっても過言ではありません。 人生不思議なものです。

 上回生は、私たちにもまして大変な苦労だったと思います。 うまく声を出せない1回生を歯がゆく思っていたに違いありません。 何度も何度も細かい点まで指導し、根気強く私たちを怒鳴りつけてくださいました。 そのようにする上回生の心の根底には、受け継がれてきた寮歌を正確に伝えようという優しさがあったことを、私は上回生となり、立場が逆転して初めて分かりました。

歌の中に次のような詞があります。
人は人をつくるため
のろしをあげ
叡智の時間(とき)を磨く
栄光(はえ)ある人間(ひと)をつくらむと

 私は自分が学んだ大学を誇りに思っています。 また仲間と共に過ごした4年間の寮生活、お城の中のキャンパスで勉強させていただいたことに感謝しています。 大学の伝統や校訓は、世代を超え、今なお受け継がれています。 大学生活で学んだ教えを守るべく、今後も精進を重ねてゆきます。

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