圭秀の修行日記2006/11/05

但馬曹洞宗道交会研修旅行
「見て聞いて、ひと味ちがう古都の旅」を終えて

 10月19、20日の両日、但馬曹洞宗道交会主催の研修旅行「見て聞いて、ひと味ちがう古都の旅」が行われました。 今回は23名が参加し、京都にある道元禅師(※)様ゆかりの地の拝登、花園大学での聴講、また、中国仏教美術の鑑賞などを通して禅文化に親しむといった機会を得ました。 行程は下記の通りです。

1日目: 8:00但馬出発〜11:00大徳寺(※)〜13:00花園会館(昼食)〜14:30妙心寺(※)〜15:00花園大学(歴史博物館見学、講義)〜京都泊

2日目: 10:00藤井有鄰館(※)〜大原・三千院(※)…芹生(昼食)〜15:00比叡山横川(道元禅師得度霊跡) (※)〜20:00但馬到着

 今回の研修会は私にとって有意義なものでした。 なぜなら、私は京都市内をほとんど訪れたことがなかったので、見るもの聞くことが新鮮だったからです。 私たちはバスガイドさんの詳しい説明によって、道中から京都各地の歴史や主な出来事を知ることができました。 例えば、京都タワー完成までの経緯や、二条城が低い造りとなっている理由などを聞きながら、当時それらに携わった人々の考えを少し知ることができました。
 各寺院への拝登では、実際に足を踏み入れることで各伽藍の大きさを実感することができました。 特に狩野探幽が構想3年の後、5年をかけて描いたという妙心寺法堂(ハットウ※)の天井龍には、その迫力で飲み込まれてしまうのではと思うほどでした。

 今回、京都の臨済宗寺院を中心に拝登させていただいたことは、自ずから曹洞宗寺院との比較につながり、その点で、見識が幾分広がったように思います。 自分を取り巻く環境を外から眺めることで現在の自分のおかれている立場を明確にし、今後の進むべき人生の判断材料となりました。
 また、初日の夜に行われた懇親会では、今まであまり面識のなかった方と会話をすることができ、親睦が深まりました。 ご法事についての各寺院のあり方から落ち葉の処理方法に至るまで永源寺と比較することができたのはよかったと思います。
 花園大学にて講話を聴講できる機会にも恵まれました。 学生たちがそれぞれにキャンパスの中で、話をしたり、楽器を弾いたり、スポーツをしている様子を見ながら学生時代を思い出しました。 パイプオルガンの音色が聞こえてきそうな教会のようなたたずまいの大講堂では、京都料理における懐石の話から道元禅師様と臨済宗との関係の話まで学生に戻った錯覚に浸りながら聞かせていただきました。

 今回の拝登では、道元禅師様と京都との関係を詳しく知ることができました。 まさに「百聞は一見に如かず」で、京都の歴史の深さを痛感し、宗教学ばかりでなく歴史学についても勉強しなくてはいけないと思いました。 各寺院とも境内が広いにもかかわらず、掃除が隅々までゆき届いていたことにはホトホト感心しました。 永源寺においても参拝者が気持ちよくお参りできるように、掃除には気を付けてゆこうと思います。
 最後になりましたが、この研修会を企画してくださった道交会役員様、参加された御寺院様、檀信徒の皆様、お疲れ様でした。


(備考)
※道元禅師(ドウゲンゼンジ):(1200〜1253)日本曹洞宗の開祖。13歳で出家。18歳で建仁寺の明全和尚に師事、明全和尚に従って中国に留学して、天童山にて如浄禅師と出会い、その法を嗣いで帰国。帰国後は興聖寺(宇治市)や永平寺(福井県)などを建立した。
※大徳寺(ダイトクジ):京都市北区紫野大徳寺町にある臨済宗大徳寺派の本山。山号を龍宝山と称する。開山は大燈国師宗峰妙超(ダイトウコクシ シュウホウミョウチョウ)で、正中2年(1325年)に創立されている。20か寺を超える塔頭が立ち並ぶ。
※妙心寺(ミョウシンジ):京都市右京区花園妙心寺町にある臨済宗妙心寺派の本山。山号を正法山と称する。花園法皇が離宮萩原殿を改めて禅寺とし、延元元年(1336)関山慧玄を招き入寺開堂させた。
※藤井有鄰館(フジイユウリンカン):藤井善助により集められた中国美術工芸品を展示、あわせて学術資料として保存するために建設された美術館。名前は中国との善隣と友交を願って「徳は弧ならず必ず鄰あり」と論語より名づけられた。
※三千院(サンゼンイン):京都市左京区大原にある天台宗寺院。山号を魚山と称する。本尊は薬師如来で、開基は最澄。
※比叡山横川(道元禅師得度霊跡):道元禅師は13歳の春、比叡山に登り、横川の千光坊に入って仏道を学ばれた。翌年天台座主公円僧正について得度された。
※法堂:住職が仏にかわって修行者のために説法するところ。

戻る