圭秀の修行日記2006/06/09
羽賀孝行師出家得度式
6月8日、羽賀孝行師得度式が宮津市の智源寺にて行われました。 羽賀孝行さんは、京都府舞鶴市出身で大学を卒業したばかりの青年です。
とても背が高く、学生時代はバレーボール部に所属していたそうです。 高橋方丈様の弟子となるので、私にとっては弟弟子ということになります。
今年4月から、既に参禅者として智源寺の雲水(ウンスイ※1)に仲間入りをし、修行生活を送っていましたが、このたび出家得度式を挙げることになりました。
得度式は、午前10時より厳かに行われました。 先ず授業師(ジュゴウシ※2)である高橋方丈様が、随喜御寺院様、羽賀さんのご家族、そして智源寺婦人会の皆様が参列する中、本堂に入られました。 引き続き、白衣姿の羽賀さんが緊張した面持ちで入堂し、ご本尊(釈迦牟尼佛)、授業師、ご両親へ丁寧にお拝をしました。
三宝勧請(サンボウカンジョウ※3)や禮讃文(ライサンモン※4)のお唱えの後、剃髪の儀式が行われました。 はじめに方丈様が剃髪され、その後、3人の兄弟子により髪の毛は徐々に剃り落されました。 周羅(シュラ※5)だけが残された状態で、方丈様が羽賀さんに出家の決意を確認されました。 羽賀さんの力強い返事が本堂に響き、方丈様は周羅を剃り落されました。 そして、坐具(ザグ)、絡子(ラクス)、七條衣(シチジョウエ)などの法衣や応量器(オウリョウキ)が、方丈様から羽賀さんへ授与され、白衣姿だった孝行さんが徐々に一人の僧侶の姿となってゆきました。 安名(アンミョウ※6)は、孝行(コウコウ)と告げられました。 最後に授戒の儀式があり、お血脈(ケチミャク)授与の後、得度式に随喜した僧侶が全員でご本尊にお拝をして滞りなく式は終わりました。
ところで、方丈様は、得度式の前に面山瑞方(メンザンズイホウ※7)様が記された永平祖師得度略作法のご提唱をされました。
私は、今回の得度式で侍者(ジシャ)をつとめさせていただきました。 侍者は、高橋方丈様や羽賀さんの身の回りの世話をするため、法要の流れを把握していなくてはいけません。 方丈様から羽賀さんへの授与物の順序や、羽賀さんのお唱え文やお拝の回数、場所などを間違えないよう、ご提唱いただいた内容を何度も復習して、法要の流れを勉強しました。 おかげさまで無事、侍者をつとめることができました。
5年前の記憶が、法要中に脳裏をよぎりました。 平成13年7月29日、油蝉の鳴き声が永源寺境内に鳴り響く中、私は汗をダラダラと流しながら得度式に挑みました。 髪が少し長かったため、剃りにくかったのでしょう。 剃髪時に出血してしまい、皆様が心配そうに私の頭だけを見ていたことを覚えています。 その式で供えた記念の松は、残念ながら当の昔に枯れてしまいましたが、方丈様始め、随喜御寺院様、永源寺総代役員様、梅花講員、一般檀信徒の皆様には、暑い中、長時間にわたり御随喜いただいたことを今でも大変感謝しております。
永平祖師得度略作法のお経本の中に「髪ヲ断ズルハ愛根ヲ断ズルナリ」という一文があります。 参列された婦人会の方は、「孝行さんが、お父さんお母さんにお拝をされた時、胸が熱くなりました」とおっしゃっていました。 孝行さんは、出家を決意するに当たりいろいろな思いがあったと思いますが、兄弟となったこのご縁を大切にしてお互いに助け合いながら精進して参りたいと思います。
(備考)
※ 1:修行僧のこと
※ 2:得度したときのお師匠様
※ 3:佛、宝、僧の三宝に教化を願うこと
※ 4:佛祖を礼拝し、讃嘆する文
※ 5:頭の頂上の髪
※ 6:あらたに戒法を受けて出家得度するものに法名をつけ与えること
※ 7:(1683〜1769)肥後の人。15歳で出家、多種の著述を残し、その懇切さは世に婆婆面山と称される。
戻る