圭秀の修行日記2006/05/01

 豊楽寺(ブラクジ)本堂落慶法要を終えて
 
 4月19日、豊楽寺落慶法要・辨財尊天ご開帳法要・開山忌法要が行われました。 豊楽寺は養父市八鹿町一部にあり、如意輪観世音菩薩を本尊とし、山号を安穏山天女峰(アンノンザンテンニョホウ)といいます。 838年、空慧(クウエ)上人が辨財尊天を祀って開基したのが始まりとされています。 現在、藤井月光様が住職をつとめられています。 900年代の初め、小佐城主小佐三郎高重が伽藍を建て一大道場として有名になりましたが、戦乱による焼失や裏山の崩壊により、辨財尊天の小堂以外は全て無くなりました。 1706年に月心光春(ゲッシンコウシュン)大和尚(永源寺三世、養源寺七世)が、有力者の寄進を受け、本堂・庫裏及び新辨天堂を完成させ復興しましたが、300年後の現在では、建物の激しい老朽化により今回の改築の運びとなりました。 昨年2月初旬に旧本堂・庫裏を解体、4月中旬に起工式を挙行、6月下旬には上棟式を行い、10月末日には完工に至りこの度芽出度く、落慶法要を迎えました。

 当日は、少し風が強かったものの天候に恵まれ、護持会役員や梅花講員、一般参拝者の皆様が参列する中、法要が予定通り厳修されました。
 先ず、本堂・庫裏落慶法要が9時半より本堂にて行われました。 梅花講員によるお唱えと共に本尊様にお茶やお菓子などのお供えをし、般若心経を読経しました。 法要後、藤井住職より今回の改築・落慶についての挨拶をされ、工事関係者に感謝状を贈呈されました。
 引き続き、辨財尊天ご開帳転読大般若(テンドクダイハンニャ※1)法要が、10時半より本堂から少し離れて立地する辨天堂にて始まりました。 祈祷太鼓の勇ましい音に合わせ読経し、大般若経を転読しました。
 11時半からは豊楽寺開山月心光春大和尚征當忌法要が、豊岡市養源寺住職を焼香師に請してつとめられました。
 法要ごとに場所が変わり、随喜御寺院、参拝者の大移動があったものの滞りなく終了いたしました。 参列者は休憩時間に本堂や辨天堂の前で記念撮影をしたり、ご開帳された辨天様に手を合わせていました。

 しかし、法要当日を迎えるまでは気の抜けない日が続きました。 私は、藤井住職の指示のもと、年始よりお手伝いをさせていただきましたが、数日前まで当日の流れを全くイメージできませんでした。 辨天堂は老朽化のため、内部を掃除してもお堂の隙間から埃や塵・土が入り準備が難航しました。 藤井住職が、試行錯誤の上、四方の壁にシートを張り巡らして、その上から紅幕を巡らせ、当日を迎えました。 法要を行う上での仏具の配置や備品をそろえることにも時間を要しました。

 そのような中、方丈様は智源寺でのご公務の合間を縫って豊楽寺に来られました。 また、藤井住職の知り合いの方が、この法要のために遠路はるばる駆けつけてくれました。おかげさまで荷物の移動などの人手を要する作業は、非常に時間が短縮されました。 前々日には一部地区の有志の方がお寺に集まり、境内の掃き掃除や雑草を取ってくださいました。 前日には本堂と辨天堂との間には赤毛氈が敷かれ、お祝いの生花も届き、本堂は華やかに飾られました。 

 落慶式というものはめったにない式典だけに、藤井住職は当日までぐっすりと眠れない日が続いたようですが、皆様方のお力により法要が無事に終わった時には、お疲れの表情を見せながらもほっとされているようでした。

 私も、微力ながらもお手伝いさせていただいたことで、大法要を迎えるまでの流れを知ることが出来ました。 随喜させていただき本当に感謝しております。 法要に関しましても堂行兼維那(ドウアン ケン イノ※2)という配役のもと、老僧方の前で祈祷太鼓を叩き、ご回向させていただいたことは自信となりました。 この経験を生かし、今後の修行に役立てたいと思います。

 最後になりましたが、豊楽寺がこれからも法を護り、私たちを導いてくださるお寺であり続けることをお祈り申し上げます。

(備考)
※ 1:諸事祈祷のため、大般若経600巻を転読する法要
※ 2:読経の際に打磬挙唱回向をする役名

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