圭秀の修行日記2005/12/01
 

大慈寺(熊本市)での
師家会自己研修会を終えて

 11月9日〜12日までの4日間、熊本市にある大慈寺(ダイジジ ※1)様にて師家会(シケカイ)自己研修会が開催されました。 この研修会は、坐禅と日課修行に勤めるかたわら本講(ホンコウ ※2)などの講義拝聴を経ることによって、宗意安心(シュウイアンジン ※3)を深めることを目的として毎年開催場所を変えて行われています。  今回は、天草諸島を中心として各地を訪れることにより人権問題への理解を深めると共に、宗教・信仰と社会・経済・政治との関係について研修しました。 日本全国にある曹洞宗専門僧堂(センモンソウドウ ※4)の堂長様を始め、役寮(ヤクリョウ)様、修行僧合計41名の参加のもと研修会は始まりました。


 前半2日は、本講の拝聴や天草についての説明を受け、後半は実際にキリシタン故地を巡りました。

 前半で行われた本講では、本山永平寺の松原老師による正法眼蔵(ショウボウゲンゾウ)の御提唱を拝聴致しました。 修証義(シュショウギ)第4章に添って御提唱いただき、布施のあり方についてより深く理解することができました。
 また老師は、修行の大切さについても提唱してくださいました。 その中で特に印象に残っていることは、“修練しないとお経に功徳がそなわらない”と、老師が断言されたお言葉です。 私は、このお言葉で身が引き締まり、修行の大切さを再確認致しました。 今後とも修行が積み重なるように精進してゆきます。

 本講の後には、本渡市長の安田様や研修会監事の関谷老師による天草についての説明がありました。 その説明の中で、私はいろいろな知識を得ることができました。
 例えば、14万人の人口からなる天草は、122の島からなり54の曹洞宗寺院があること、遣欧使節団により活版印刷機が日本で初めて伝えられたこと、有田焼、瀬戸焼の源流である天草陶石が産出されることなどです。
 また、1637年、幕府のキリシタン弾圧と苛酷な年貢の取立てにより天草・島原の乱が起きたこと、幕府軍勝利の後、初代代官に命ぜられた鈴木重成 (スズキシゲナリ)公とその実兄で曹洞宗僧侶の鈴木正三(スズキショウサン)和尚が、民心の救済のために寺社復興・創建に着手し、今の天草の生活、文化の礎を築いたことなどの説明を伺い、歴史についても詳しく知ることができました。


 3日目は、実際に天草キリシタン故地を巡りました。 隠れキリシタンの遺物を展示するサンタマリア館、キリシタン墓碑があり南蛮寺跡として有名な正覚寺(ショウカクジ)様、戦死した多くのキリシタン殉教者の埋葬塚がある殉教公園、キリシタン弾圧の中心となった明徳寺(ミョウトクジ)様、鈴木重成公が手がけた阿弥陀如来像と二十五菩薩像が安置されている国照寺(コクショウジ)様、昭和8年に建てられた大江天主堂、キリシタンの暮らしぶりを伝えるロザリオ館などを巡りました。

 私はこれらのキリシタン故地の巡検において、“宗教の自由”の大切さを学びました。
 隠れキリシタンは厳しい弾圧から逃れるために、いろいろな工夫を凝らしました。 子安観音をマリア観音として、菩薩像をキリストの代わりとして拝み、釈迦像の蓮台を取り外すと芯棒が現れて十字架に早変りする仏像や、裏に十字架が彫られている硯などを所持し、幕府の目を盗みながら信仰を続けました。 毎年正月のキリシタン信者探索の際、生き抜くために踏絵を踏むものの、家に入る前に踏んだ足をたらいの水で洗い、その水を一滴残らず飲み干して罪を償ったそうです。
 現在の日本では、“宗教の自由”が認められているため、信仰の不自由さを感じることはありませんが、約350年前には同じ日本でも大変な時期があったことを目の当りにし、ありがたい時代に生まれてきたことに感謝致しました。


 4日目は、ギター和尚の“おげんき説法”で有名な、上天草市にある向陽寺(コウヨウジ)様に拝登しました。 ご住職、渡辺紀生師の法話を聞くために、年間6万人もの参拝者が向陽寺様を訪れます。

 私たちは到着後先ず、位牌堂の2階に設けられた説法館に通されました。 そこには、渡辺師の書かれたお軸や額、本等が部屋一面に飾られていました。 渡辺師は、“毎日の生活の中で思いついたことを書きとめたものです”と説明してくださいましたが、その数の多さに私たちは圧倒されてしまいました。
 説法館見学の後は本堂に移動し、“おげんき説法”を聞きました。 「四苦八苦(シクハック)」について、ユーモアを交えながらとても分かりやすく説法していただき、私たちは渡辺師の世界にすっかり引き込まれてしまいました。
 向陽寺様への拝登で、さまざまな説法のやり方があることを勉強致しました。 渡辺師は、芸能界を目指していた時分に、東京のナイトクラブでギターの弾き語りをされていたそうです。 その時の社会経験が、この説法の根底にあるような気がしました。 お寺は、とかく暗いイメージで考えられがちですが、明るい雰囲気で誰もが気軽に訪れることができるよう、私が持つ個性を生かし、自分なりの説法のやり方を模索してゆこうと思います。


 今回の研修会には、永平寺での修行中お世話になった諸先輩方も参加されており、とても懐かしい思いが致しました。 また、日本各地の各専門僧堂の皆様とも交流することができ、情報交換できたことはこれからの修行にプラスになると思います。
 私がこの研修会に参加している間、永源寺、智源寺共に忙しかったことを、帰山後に伝えられました。 皆様のお陰により参加することができたので、その恩を無駄にしないよう研修会で得たものを今後の修行に役立てようと思います。

(備考)
※ 1:山号は大梁山。永平寺の開祖道元禅師様の法弟子である寒巌義伊禅師様が1278年に創設された寺院。
※ 2:坐禅道場にて住持人が修行僧に対して仏教祖録を提唱または講演すること。
※ 3:宗祖のたてた教義に信心決定すること。
※ 4:曹洞宗における修行の専門道場として、全国に27ケ寺 特別に指定されている寺院。

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