圭秀の修行日記2005/05/08
 

立場変わると見方も変わる

 5月8日良く晴れ渡ったぽかぽか陽気の中、花祭りが行われました。 梅花講員が花祭御和讃・御詠歌、花供養御和讃・御詠歌などをお唱えし、大佛頂萬行首楞厳陀羅尼(ダイブッチョウマンギョウシュリョウゴンダラニ)というお経を読経する間、お参りの方々にはお釈迦様の誕生佛に甘茶を注いでいただきました。 お陰様でスムーズに法要は進み、無事にお務めを終えることができました。

 今年の花祭では、初挑戦したことが二つありました。
 一つ目は、花御堂の飾付けです。 昨年までは飾付け10年のキャリアを持つ二人の檀家様にしていただいていましたが、今年はお二方とも都合が付かないこともあって、副住職様と私が二人でさせていただきました。 花祭りの前日、この日のために一年かけて栽培してくださった色とりどりの花が多くの檀家様よりお寺に寄せられました。 しかし、これらをどのように飾り付けてゆくとよいのか、初めのうちはわかりませんでした。副住職様からご指導を受けながら、その手の動きを見てゆくにつれ徐々に勝手が分かってきたのです。 全体の花の大きさや色のバランスを考え、一本一本丁寧に飾り付けをしてゆきました。
 完成するまでにはだいぶ時間がかかりましたが、完成した時にはほっとすると共に、いつまでもこのままでいてほしいと思うのでした。 昨年までは、飾り付けているところをただ横から見ていただけでしたので、実際にやってみることで創意工夫と根気が必要な作業だと思い知らされました。

 二つ目は、紙芝居です。 永源寺では法要の後、お寺に隣接する八鹿小学校の児童に紙芝居をしています。 毎年、副住職様が朗読をされて、子供たちは耳を澄まして聞き入っていましたが、今年はその朗読を私が行うことになったのでした。
 紙芝居はいくつかありますが、花祭に因んで「お釈迦様のお誕生」というお話をさせていただきました。 お釈迦様がお生まれになった時のことや、花祭にはなぜ御堂を飾付けるのか? なぜ誕生佛に甘茶をかけるのか? などのお話をゆっくり読ませていただきました。
 紙芝居を読んでいる間、私は自分の子供の頃を思い出しました。 幼少の頃、体の弱かった私は、いつも入退院を繰り返していました。 そして、入院のたびに、寝る前、母親がよく本を読んでくれました。 そのときの情景がふと頭をよぎりました。 今、私は逆の立場となって紙芝居をしている自分を不思議にさえ思いました。

 時間の経過と共にあらゆるものが移り変わり、その移り変わりの中で自分のおかれた立場もまた変化します。 立場が変わるとものごとに対する見方が変わります。 今回、飾付けに携ることによって、花御堂を違う角度から見ることができました。
 来年の飾り付けのことはまだ決まっていませんが、今後もできるだけ多くの方々に携っていただき、その年その年の飾り付けの美しさを皆様と共に楽しんでゆきたいと思います。 お花を供養してくださった皆様方ありがとうございました。 また、お務めに随喜された参拝者の皆様ご苦労様でした。

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