2004/11/26

災害時(台風23号)に何を

 台風23号が、10月20日の晩、近畿地方を縦断しました。 北部の市町村が軒並大被害に見舞われ、養父市や宮津市も被害に見舞われました。 停電、断水、電話回線の不通により生活の機能が麻痺し、不安な毎日が続きました。

 私は台風襲来の夜は永源寺におりましたが、八木川の増水により養父市内も浸水に見舞われていることをテレビの報道により知りました。 激しい暴風雨の中なかなか寝付けず、 大事に至らなければという思いで長い長い一夜を過ごしました。
 翌朝お寺周辺を見回りました。 境内は浸水や土砂崩れなどはなかったのですが、道路には砂やゴミが一面に散らばっていました。 また、各家の玄関先には土嚢が積まれていました。 出会った檀家さんに昨晩の状況を聞くと、お寺周辺の家屋は床下までの浸水だったことを教えてくださいました。 そして、泥を車全体にびっしりと付けながら走る車を見て、被害の大きさを感じざるを得ませんでした。
 被害の状況を知るにつれ智源寺のことも心配になり、宮津市におられた方丈様に連絡させて頂きました。 すると、養父市よりも被害の大きいことを知りました。 しかし、宮津市までの幹線道路や鉄道が全て浸水や土砂崩れにより不通となっていたので、その日は焦る気持ちを抑えつつ永源寺にとどまっていました。

 22日はお葬式を務めた後、師匠と共に近隣で特に浸水の状況がひどかった豊岡市に車を走らせました。 途中、渋滞はありましたが通行止めの箇所はなく、何とかたどり着くことができました。 市内にある自性院様が宗門の寺院を取りまとめる対策本部となっていましたので、永源寺から持っていった食料や毛布を提供し、炊き出しの手伝いをさせていただきました。 60ヶ所あるうちの3つの避難所に豚汁を運びましたが、そちらの避難所の方は浸水被害の復旧が早く、次々と自宅に帰る人を見て胸をなでおろしました。 そして他の避難所でも早く復旧が進むことを望みました。

 23日の朝になっても宮津市までの道路はほとんど開通していなかったので、遠回りしながら智源寺へ車を走らせました。 通常、車で1時間ちょっとの距離ですが、2時間半かけてようやくたどり着くことができた宮津市内の状況に私は驚いてしまいました。 広範囲にわたりひどい浸水に見舞われたことを示すかのように、道路には通行止めを示す標識があちらこちらに立てられ、泥を撤去する人、水に浸かった家財道具を運び出す人でいっぱいだったからです。 一晩ですっかり変わってしまった市内の状況を目の当たりにしたのでした。 お寺はというと、浸水の被害はなかったものの、お堂のガラスが割れたり、土砂崩れにより月見台や境内墓地の一部が押し流されていました。 電気・ガスは復旧していましたが、断水は続いていました。お寺の駐車場は、浸水被害から守るために市内のあちらこちらから移動してきた車でびっしりとなっていました。 お堂の中にも周辺の家の家財道具が詰め込まれていました。 大変な状況の中、山内にいる皆様が無事だったのが何よりの救いでした。 そして、力を合わせて一つ一つ元に戻してゆこうと誓いました。

 甚大な被害をもたらした台風23号の被害から1ヶ月がたち、徐々に以前の生活が戻ってきたような気がします。 養父市と宮津市を結ぶ幹線道路は11月8日に通行止めが解除され、宮津市内の道路脇に山積みにされていた家財道具も姿を消し、流れ込んだ泥が取り除かれるにつれ、市内の埃は消えてゆきました。 駐車場に停められていた車も、それぞれの自宅の駐車場へと戻っていったようです。 崩れた裏山や境内墓地の後処理はまだまだ続き、完全な復旧は年明けになりそうですが、日常の公務をこなしながら何とかここまでやってきました。

 今回、僧侶として初めてこのような災害を経験しました。 緊迫した状況の中で、その時その時をいかに判断し適切な行動をとるべきか、身をもって実感させられた台風でした。
 今年は台風が多く、特に23号には近畿北部の市町村が局地激甚災害区域に指定されるほど、大被害を受けました。 新潟県でも地震による被害で多くの方が辛い生活を強いられています。 さらに、その他の地域でも天災が起こっています。 いつ起こるかわからない天災に備え、日頃から防災訓練をすると共に、万が一の事態に適切な行動がとれるよう、いろいろな状況を想定して心構えしようと思いました。 被災地で続く復旧活動が一日も早く終わることを願うと共に、これから益々寒くなるので、被災地の皆様が風邪などひかれませぬようお祈り致します。

※※智源寺の様子※※
崩れた月見台の中に立つ観音様
強風により折れた竹 押し流された墓地

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