2003/02/20

 いざ永平寺へ

 永平寺(福井県吉田郡永平寺町)は高祖様(道元禅師様)が建立した曹洞禅修行の根本道場で、法堂(ハットウ)・仏殿・山門・僧堂・東司(トウス:手洗)・庫院(クイン:庫裏)・浴司(ヨクス:浴室)からなる七堂伽藍(シチドウガラン)をはじめ、70余棟の堂塔が整然と建ち並ぶ一宗の大本山です。 毎年百数十名ほどの僧侶が日本全国から集まり、厳しい環境の中、精進しています。 修行僧は上山日の前日に隣接する地蔵院へ行きます。 そこで上山の際の荷物点検を先輩の修行僧(古参)にしてもらい、法衣の着方などを覚えます。

 2月20日、私は方丈様はじめ永源寺の皆様に見送られながら八鹿町を後にしました。 曹洞宗の本山である永平寺で修行するためです。 私が永平寺を初めて訪れたのは今から3年前の報恩接心(ホウオンセッシン:2月1日から一週間、余事を断って坐禅修道すること)の時です。 当時私は出家前でしたので、参禅会を通して曹洞宗の教えを勉強しようと思ったのです。 参禅期間中の生活はそれまでの私の生活とは正反対のものでした。 全く違う世界に来てしまったような錯覚に陥ったことを今でも覚えています。 僧堂での坐禅の仕方、食事のとり方などを事細かに教えられましたが、自分の中では常識だと思っていたことが次々と覆され、知らないことがこれほどあったのかと、痛感させられたのでした。 そして、いつも自分を取り巻いていた電化製品や車などが何もない永平寺という環境の中で、初めて自分と真正面から向き合うことができた瞬間でもありました。

 飯台(ハンダイ:食事)の時間は、目の前に立って私たちの様子を逐一見ている修行僧に、いつも食べ方の間違いを注意されるので、食べたという心地がしませんでした。 坐禅中に眠くなってついウトウトしてしまうと、すかさず警策(キョウサク:修行を策励するために肩を打つ道具)が入り、一瞬たりとも気を抜くことができませんでした。 一日の経つのがとても長く、生まれて初めて、修行とはこのようなものなのかと痛感させられたのでした。 3年前の経験を振り返り、不安と期待が入り混じる中、その永平寺に正式に第一歩を踏み出したのです。 永源寺での修行を更に深く掘り下げ、幅広いものにするために。 そして、高祖様の恩に報いるために・・・。

 しかしその第一歩となる日、とんでもないハプニングが突然私を襲いました。 福井行きの電車が強風のため琵琶湖付近で止まってしまったのです。 停車して20分後、車内放送が流れ、乗客は全員電車を乗り換え、再び京都へ戻ることになったのでした。 "いざ永平寺へ" という時に出鼻をくじかれてしまいました。

 "午後1時までに地蔵院到着のこと"―― 事前に送られてきた書類に書かれた約束の時間が刻一刻と近づく中、何とか京都へ戻ることができました。 しかし、時計を見ると既に12時30分。 どのように考えても午後1時までに到着することはできません。 そこで、とりあえずダイヤの状況を確認しました。 ホームで駅員さんに問いかけると、幸運にも福井駅行きの電車は復旧したことを教えてくれました。 "何とか今日中に着けるかもしれない" というわずかな希望を抱きながら到着時刻を確認すると、予定時刻より数時間足らずの遅れで済むことが分かりました。 そこで私は、このことを永平寺の監院寮(カンニンリョウ)へ報告しました。
『本日中に到着できるのであれば来なさい。』―― 監院寮からの返事は簡単なものでした。
 再び私は電車に乗り込んだのでした。

 福井駅の改札口を抜けて時計を見ると、午後3時過ぎになっていました。 不運なことに雨も降り出してきました。 しかし、悪天候になったとはいえ、いち早く永平寺への到着を目指すことに変わりはありません。 最善の方法を探すため、駅の表玄関に向かいました。

 すると、再び予期せぬ出来事が起こったのです。 行者(アンジャ:付き人)を一人連れた老僧が、突然声を掛けてきたのです。
『君、これから永平寺へ行くのなら、私たちもそこへ行くところだから、君を一緒にタクシーに乗せてあげるよ』
 全く知らない人からの言葉に一瞬の戸惑いはありましたが、迷っている時間はありませんでした。 私は、老僧のお言葉に甘えて一緒にタクシーに乗り込みました。 ザーザー降りの雨の中、タクシーは走り出しました。

 老僧はタクシーの中で、"なぜ私に声を掛けたのか" 説明して下さいました。 話によるとその老僧も、強風のために止まってしまった福井行きの電車に乗っておられたのでした。 偶然にも同じ車両に乗り合わせながら、私はその老僧に気付きませんでしたが、老僧は気付いておられたそうです。 2月中旬からの上山時期に、衣を捲り上げ草鞋を履き、行李(コウリ)や網代笠(アジロガサ)などを持っている姿を見て、これからどこかの専門僧堂(各地にある修行道場)へ行くのではと思っておられたそうです。 私が福井駅で降りたので、もしや永平寺へ行くのではと思い声を掛けて下さったとのことでした。

 40分後、車は地蔵院の前に着きました。
『これ以上遅れてはいけない。さあ早く行きなさい』
老僧は私を急がせました。
『失礼ですが、お名前をお聞かせ下さい』
との私の言葉に老僧は、
『君がここでがんばれば、またきっと会えるから・・』
とおっしゃりながら車から降り、傘もささずに私を見送って下さったのでした。

こうして私は、老僧の暖かい励ましに後押しされながら、地蔵院の到着版(木の板)を三打したのでした。

"いざ永平寺へ“ 永源寺を出発


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