2003/02/10

 教えて教えられ

 先日、22歳の青年が「坐禅をさせてください」と永源寺を訪れました。 名前はK君。彼は子供の頃に坐禅経験はあるものの、以後ほとんどお寺に足を運ぶことがなかったそうですが、 "自分を変えたい" という一心で永源寺の門を叩いたのでした。

 お寺の生活を経験したことのない彼にとって、暁天坐禅(朝の坐禅)、朝課(朝のお勤め)、飯台(食事)、作務など、ほとんどのことが初めてだったため、若輩ながら私も坐禅作法や飯台の作法、読経や作務の仕方などを説明させていただきました。 初めのうちは慣れないこともあって大変そうなK君でした。 動作一つ一つが遅く、彼の頭で考えていることとやっていることが空回りしているようでした。 そして私もそのような彼の姿を見ると、他にもっと適切な説明の方法がないものかと頭を抱えるのでした。 K君にやってもらうより私がした方が早く終わるため、つい手を出してしまいそうになり、その気持ちをこらえるのも大変でした。 しかし月日を重ねるにつれ、K君の動作一つ一つにスムーズな流れが出てきました。 お経も徐々に覚え、坐禅作法については完全にマスターしていました。 私はそのようなK君の姿を見て嬉しくなるのでした。

 今回、私は "教えることの難しさ" を学びました。 各作法など、お寺の決まり事を一度に全て説明しすぎて混乱させるでもなく、こちらが妥協しすぎて精進を妨げるでもなく、そのころあいを感じ取りながら説明してゆく。 頭では分かっているようでも実際のこととなると「?」でした。
 私も今まで方丈様はじめ皆様方にいろいろなことを教えていただきました。 今後も様々な教えを請うと思いますが、教えることの大変さを実感して、素直に皆様の教えをいただいてゆこうと思いました。

 結局K君は、2週間の宿泊の後自分の家に戻りましたが、果たして自分を変えることができたのかは疑問です。 今回の参禅経験がK君にとって将来、ステップアップのためのきっかけになって欲しいと願う圭秀でした。


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