2003/01/15

鐘が響く、また響く

 永源寺では毎日、昼と夕方の2回鐘楼堂の鐘を撞きます。
 庫裏建設期間中は鐘楼堂を移動していたため撞くことはできませんでしたが、庫裏が完成し鐘楼堂を元の位置に戻してからは、天候に関わらず決められた時間にはいつも撞いています。
 鐘を撞くと身体全身に「ゴーン」という音が響き、その余韻はしばらくの間続きます。 初めて鐘を撞いた頃は撞木が鐘の中心に当らず妙な音を出すことがありましたが、近頃何とか撞くのにも慣れてきて失敗しないようになりました。 音の響きに納得のいかない時は、撞木を回転させて調節を図ったりします。 鐘を撞くたびに一定の音が出るように努力しているのですが、響いてくる鐘の音は全て違い、不思議だなと思います。

 そんな中、 "鐘楼とはいったい何なんだ" と思わせる出来事がありました。
 それは昨年の大晦日、「除夜の鐘」の時のことです。 参拝にこられた方に一人ずつ鐘楼堂の鐘を撞いていただいた時に、ある小学生が
「心が洗われるね」
と呟いたのがきっかけです。
 今まで私は何も考えることなく撞いていたのですが、皆様が鐘楼堂で鐘を撞く光景を見ていると、私の鐘に対する考え方が変わってきたのでした。
 幅広い年代の方に「除夜の鐘」を撞いていただいたのですが、老若男女を問わず鐘楼に向って合掌する姿が見られました。 彼らが何を考えながら合掌したのか知る由はありませんが、私たちが一言もいわなくとも深々と合掌門訊していました。 そしてどの人も、すがすがしい表情を見せるのでした。 撞く前は不安そうな顔つきをしていた初体験の参拝者も、撞き終わると何かを達成したという表情でいっぱいでした。 鐘の撞き方を説明するために皆様のすぐ横にいたこともあり、間近に一人一人の表情を感じ取ることができました。

 皆様の晴れ晴れとした表情を横で見ているうちに、ふと私は "私たちの心の中にも実は一人一人の鐘があるのでは?" と思いました。 そして、その人その人の独自の鐘が「除夜の鐘」の音色と共に境内のあちこちで鳴り響いているような気がしました。

 「除夜の鐘」は2時間ほどで終りました。 撞き終った参拝者には、自分が何回目の鐘をついたのかを記した「除夜の鐘ポストカード」を配りました。 皆様はその記念カードとお土産を手にし、足取りも軽くそれぞれの家路についていました。
 大きい音、小さい音、高い音、低い音など・・  いろいろな鐘の音を聞くことができた今回の「除夜の鐘」でしたが、次回も同様に多くの参拝者に上山していただき、多種多様な鐘の音色を境内に響かせて欲しいと思いました。

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