圭秀の修行日記2003/04/09

 大衆当番

 今日は午前1時の起床から一日が始まりました。 雲水(ウンスイ)※1 の食事を作る大衆当番を務めるためです。 大庫院(ダイクイン)へ転役後、最初に務める仏菜当番(ブッサイ)※2 や典行当番(テンナン)※3 を一通りこなせるようになった者が、この当番に当たります。 修行僧の舌を満足させるために必死になって取り組むのです。

 永平寺の小食(朝粥)は、お粥・香菜(沢庵)・ゴマシオの三品です。 私は眠い眼を抑えつつ、先ず、いりゴマをすり始めました。 まだ他の大庫院和尚は夢の中・・・ 大きなすり鉢を長いすに乗せ、それを両膝で抱えながらすってゆくと、パチパチというゴマの弾ける音だけが庫院内に響きました。
 大庫院前の廊下には長さ数メートルもある大きなすりこぎ棒があり、永平寺の名所の一つとなっています。 参拝者はこの棒をなでたり、木の割れ目に小銭をはさんだりしていますが、古参和尚(先輩和尚)がある日、次のように説明して下さったことがありました。
 すりこぎ棒とは、使われるほど削られて短くなりますが、修行僧もすりこぎ棒同様、自分の身を削って他人のために尽くしなさい、ということでした。
 大庫院の雲水にとって、すりこぎ棒とすり鉢はとても重要なもの。 視線をすりこぎ棒の先端に集中させ、2キロのゴマをひたすらすり続けました。

 2時間後ようやくゴマすりが終わったので、引き続き香菜切りに挑みました。 香菜は小食だけで20本以上必要となります。 本数が多いだけでなく、それ以上に私を困らせたことは、透き通るほど薄く切らなくてはいけないということでした。 私たちは応量器(オウリョウキ)※4  を使って坐禅をしながら食事をいただくのですが、坐禅堂内でできるだけ音を立てずにいただくためです。 香菜を厚く切ってしまうと噛んだ時に音が出てしまうため、薄く切らなくてはいけないのです。 誤って指を切らないよう、蛇腹切りにならないよう、包丁の刃先だけを見つめ切り続けました。

 香菜を全て切り終える頃、時計の針は午前5時半を回っていました。 ちょうど同じ頃、香菜切りの途中から炊きだしていた粥も出来上がったので、粥、香菜、ゴマシオの味を大加番(オオカバン)※5 に確認していただきました。 大加番が味を調え終わる頃、時計の針は撃盤時刻(ケイバンジコク)※6 となっていました。 本日は放参日(ホウサン)※7 とあって、玄米粥ではなく白米粥でした。 3時間かけて圧力鍋で手間をかけながらじっくりと炊く玄米粥に比べ、白米の場合は1時間程度で出来上がるので、慣れない大衆当番を務め、ゴマすりと香菜切りに大分時間をとられてしまった中で、放参日であることが救いとなりました。

 小食をいただいた後も休む暇なく、中食(チュウジキ:昼食)、薬石(ヤクセキ:夕飯)の料理に取り掛かりました。 この日のメニューは、中食は白飯、味噌汁、香菜、八宝菜の4品。 薬石は白飯、澄し汁、香菜、煮物、白和えの5品でしたので、材料をせっせと切り込み、寮長さんや大加番の指示に従いながら作りました。
 味付けには悪戦苦闘しました。 永平寺は精進料理だからです。 化学調味料を使用してはいけないので、限られた調味料で時間と戦いながら、皆様に少しでも美味しく食べていただこうと、何度も味見を重ねました。

 今日は数時間しか寝ていないにもかかわらず、緊張のためか日中は全く眠くありませんでした。 しかし薬石の撃盤が終わると、緊張の糸が切れてしまったのか急に眠気が私を襲いました。 薬石をいただいた後はさらに眠気は増し、重い体に鞭打って調理に使用した鍋や食器を洗いました。
 そんな中、嬉しいことがありました。 後片づけがひと段落した頃、寮長さんに仏菜・典行当番の役割を把握できているかどうか、公務確認の試験をしていただきました。 お陰様で何とか合格でき、その証に典座老師から菜切り庖丁が渡されたのでした。 今までは他人の包丁を借りながら切り込みをしていただけに、自分の庖丁を手にすることができ、この時は大変感謝致しました。 慣れていないこともあってどっと疲れた一日でしたが、これからまた頑張ろうという気持ちになりました。 庖丁は一生ものなので、典座老師や皆様の恩を無駄にしないよう精進しようと思いました。

《備考》
※1:修行僧
※2:主に仏様にお供えする霊供膳を作る当番
※3:禅院で衆僧の食事をつかさどる典座老師の世話をしたり、大庫院の事務を行う当番
※4:僧侶の用いる食器
※5:当番の一つ。庫院での修行期間の長い雲水が務める
※6:坐禅堂で飯台の前に庫院で桶に粥飯を給仕する時刻
※7:四と九の付く日は、朝晩の坐禅や規定の行持を休んで、洗濯や繕いもの等、自分の身の回りを調える。


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