2002/05/13

 花祭り

 花祭りとは潅仏会(カンブツエ)・仏生会(ブッショウエ)・降誕会(ゴウタンエ)・浴仏会(ヨクブツエ)ともいい、お釈迦様の誕生を祝して行われる儀式で、誕生仏(タンジョウブツ)を安置した御堂(ミドウ)を花で飾り、龍王が香水で潅沐(カンモク)させたという伝承に基づき、甘茶を頂上よりそそいでお祝いする祭りです。 
 本来ですと、お釈迦様の誕生日である4月8日に執り行われるべきものですが、開花している花が少ないこともあって永源寺では5月8日に行っております。

 それでは、今年の花祭りの流れについて簡単に説明したいと思います。 法要は梅花講員による「三宝御和讃(サンボウゴワサン)」のお唱えで導師様の入堂から始まりました。 先ず参拝者一同が、お釈迦様に対して三拝致しました。 「花供養御和讃(ハナクヨウゴワサン)」「花供養御詠歌(ハナクヨウゴエイカ)」「高嶺(タカネ)」のお唱えにあわせて献供(供物をささげること)をし、「大仏頂萬行首楞巌陀羅尼(ダイブッチョウマンギョウシュリョウゴンダラニ)」を読経しました。 この時に参拝者の皆様に甘茶を誕生仏へそそいでいただきました。 そして、梅花講員が「花祭り御和讃(ハナマツリゴワサン)」「花祭り御詠歌(ハナマツリゴエイカ)」をお唱えしました。 そして再び参拝者一同で三拝してとどこおりなく法要は終わりました。

 法要の後、方丈様が小学校1年生の参加者へお話をされました。 「花祭りとはどのような行事なのか?」「自分たちはこれから、どのようなことに気をつけて生きてゆかねばいけないのか?」などなど、生徒の皆さんは真剣に法話を聞いていました。 法話の後、参拝者そろって甘茶をいただきました。 初めて甘茶の味に触れる小学生は不思議そうな顔をしていましたが、それでも最後にはきれいに飲み干していました。 その後で、紙芝居「モチモチの木」が演じられました。 この時は小学生のみならず、梅花講員の皆様も興味深く聞き入っていました。 最後に花祭りにちなんだお土産(甘茶のティーバックとお菓子)を皆様にお配りし、記念写真を撮って花祭りは終わりました。

 今回の花祭りで皆様の心をひきつけたのは、なんといっても花御堂でした。 御堂には色とりどりの花が鮮やかに飾られていたからです。 甘茶を誕生仏へ注ぐ時に、思わず見とれてしまう人もいました。 御堂への飾りつけは、今年で8年目になるという2人の檀信徒の方にお願いしました。 前日の午前中に飾りつけていただいたのですが、飾り付けが終了したのは夕方でした。 花それぞれの個性や表情を表すために、長時間にわたり1本1本慎重に作業していただき大変だったと思います。 本当に有難うございました。

 私の中で一番印象に残ったことは、生徒たちの目の輝きでした。 難しいお経を唱えている法要の間も、美味しそうな顔をしながら甘茶を飲んでいる時も、真剣な眼差しで紙芝居に聞き入っている時も、もちろんお土産をもらう時も、その輝きが途絶えることはなかったからです。 私は、彼ら1人1人が持っている何か素晴らしいものを感じながら、私の小学校時代のことを思い浮かべました。

 過去の自分の夢を振り返ると、小学校の低学年の頃は、米軍基地のある青森県の三沢市で育ったということもあり、戦闘機のパイロットにあこがれていました。 しかし成長と共に将来の夢もいろいろに変化し、一介の僧侶に落ち着いた今、人生というものは不思議で面白いものだと思っています。 今回、永源寺を参拝した小学生の皆さんがこれからどのような人生を歩むのかわかりませんが、彼らの心の光がいつまでも輝き続けて欲しいと思いました。





 私の小学校時代(ウサギからの脱皮)

 私はウサギだったのかもしれません。 決して飛び跳ねていたわけではありませんが、いつも何かを警戒していました。 入学当初から病弱だった私は、入退院を繰り返します。 点滴の毎日が続き、肌が日焼けすることはありませんでした。 次第に、私はいじめの的となっていきます。 学校でも怯える毎日が続き、教室の隅で暮らすようになりました。 授業中に発言することもなくなり、担任の先生には「圭秀君は積極性がない」といわれました。 両親にとっても頭を抱える毎日が続きました。 習い事が多くなったのはその直後でした。 週二回の塾通いに、早朝剣道練習などなど・・ しかし賢明な努力にもかかわらず、一転した過密スケジュールは重荷となっていたのです。 毎日の生活はますますいやになり、精神的にも疲れていました。

 と、そんなある日、一つの小さな光が私を照らしました。 ウサギを飼っている家の発見です。 人気(ひとけ)を感じると逃げてしまうウサギを見ていると、まるで自分を見ているようでした。 はじめのうちは、ウサギも私を怖がって近寄ってはきませんでしたが、徐々に餌を求めるようになりました。 終いには、毎日顔を出す私に見かねた買主が「1羽くれてやる」という始末。

 ウサギとの二人三脚が始まりました。 私は朝夕の餌やりに精を出し、暇さえあればダンボールを片手に原っぱへと向かいました。 今となれば、小さい身体でよく頑張ったと思いますが、いくら話し掛けても全く返事をしないウサギが唯一の友達だったのでしょう。

 数ヵ月後、私は校内絵画コンクールでウサギを描き入選します。 このことで周囲の視線が注がれ、私はその視線にウサギの話題で答えてゆきました。 次第に友達も増え、共に遊び勉強することで、クラスの輪の中に入ってゆきました。 気が付くとそこにはウサギから脱皮した私がいたのです。 卒業するまでウサギとの生活は続きましたが、つらい時ほど励まされたような気がします。 ウサギに助けられた分のお返しを、どのようなことにせよ何かしらできるように、頑張ってゆこうと思います。

小学校卒業記念作品
                              「龍のオルゴール」


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