2002/03/28

「お葬式とは?」
 今月はとてもお葬式の多い月でした。 今まではお葬式にたずさわっていても、ただただお経本を必死に見ながらのお勤めだったのですが、徐々に式の流れを身体で感じ取れるようになるにつれ、お葬式についていくつかの疑問が湧いてきました。 

 それでは先ず、曹洞宗のお葬式の流れについて簡単に説明いたします。 その由来には諸説あるようですが、お葬式は内弔い(ウチドムライ)と外弔い(ソトドムライ)に分けることが出来ます。 内弔いでは、仏様と故人の橋渡しである導師(ドウシ)により授戒(ジュカイ)が執り行われます。 仏道に入るため髪やひげを剃り落とし、参列者全員で懺悔文(サンゲモン)をお唱えした後、生き物を殺すことを戒める不殺生戒(フセッショウカイ)や、嘘をつくことを戒める不妄語戒(フモウゴカイ)などの十六条の仏戒(ブッカイ)が故人に授けられるのです。 最後に、仏の教えが師匠から弟子へと伝えられてゆく様子を、遠く釈尊から故人に至るまで描かれた系譜書であるお血脈(ケチミャク)が授けられ、授戒は終わりとなります。

 外弔いでは、導師により引導法語(インドウホウゴ)が読まれます。 この法語には故人の経歴や信仰生活などが書かれており、その威徳をたたえ冥福を祈るのです。 その後、弔辞・弔電が読まれ、仏弟子となった故人が仏道に精進できるようにお経をお唱えします。 最後に導師が退堂して外弔いは終了となります。

 慣れない頃の私は、顔を真っ赤にして、汗をびっしょり掻きながらのお勤めでした。 なぜなら、お葬式道具の使い方にてこずったからです。 曹洞宗のお葬式では、日常で使用する磬子(ケイス)や木魚(モクギョ)に加え、他の鳴り物も使用するからです。式の最中に「チン・ドン・ジャラン」とリズムよく鳴らす時があるのですが、自分の担当した鳴り物の音が小さすぎたり、テンポが合わなかったりと冷や汗の連続でした。このように鳴らすことを「鼓鉢三通(クハツサンツウ)」と呼びます。

 これらの鳴り物をなぜ鳴らすのかということについて方丈様にお尋ねしたところ、内弔いが行われていた自宅から外弔いが行われるお墓へ、導師を迎え入れるために鳴らすということを教えていただきました。 またこの時、キョクロクという大きな椅子がセットされます。 このキョクロクは、お墓に到着した導師がお勤めをするに当たり腰掛けるためだ、ということも教えていただきました。 最近のお葬式のほとんどは屋内で内弔いと外弔いを執り行うので、「鼓鉢三通」「曲禄」の意味合いがわかりにくくなったそうです。 私も最初の頃は、どうして急に導師がキョクロクに座ったのか疑問でしたが、これらの意味を教えていただき、ようやく納得することができました。  お寺さんによっては、キョクロクと一緒に日よけの傘を出すところもあるようですが、室内で傘のさされる光景を見ながら、きょとんとしている人は多いようです。 一つ一つの道具にもそれぞれ意味があることを知り、それぞれの歴史を実感すると同時に、この件で尋ねられたときは、きちんと説明しようと思いました。
 
 本により調べたところ、今日の曹洞宗の在家葬法は、修行途上で亡くなった修行僧のための「亡僧(ボウソウ)」の儀礼を下敷きとしていることがわかりました。 そこで、死後に剃髪・授戒などの出家の儀礼「没後作僧(ボツゴサソウ)」を行うのです。 この方法は鎌倉期に上級武士や公家に受容され、その後地方武士を通じ民間風俗や禅的意味を加えながら広く社会に普及することになりました。 最近では明治28年に規範が制定されたもののその後数回訂正され、時代の流れに従い簡略化されていることもわかりました。 お葬式といえば、昔の儀礼に全て従いながら行われているものとばかり思っていただけに、時代の流れと共に変化していることを知り、勉強になりました。
 お葬式について調べれば調べるほど、その奥の深さを実感することができました。 今回は表面的な理解にとどまりましたが、皆様に教えていただきながら徐々に深く掘り下げてゆきたいと思います。

 そもそもお葬式は、人生の最後を飾る厳粛なお別れの儀式です。 また、この世に足跡を残し亡くなった故人の俤(オモカゲ)をしのび、その故人の修行がいつまでも精進できるよう願いながら執り行われる重要な式でもあります。 これから先も、お葬式にたずさわる機会はあると思いますが、若輩ながらできるだけ丁重にお勤めさせていただきたいと思います。

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