2002/02/26


「なぜ永源寺で出家をしたのか」

 
 出家しようと決めてから永源寺にたどり着くまでの半年の間、私はいろいろなお寺を巡り歩きました。 出家するためには先ず、お師匠様を見つけないといけないからです。 青森を出発点として、良き師匠に出会うため、東日本を中心に訪ね歩きました。 ところが、お寺と深く関係のある人が、身近なところにいなかった私にとって、これは大変なことでした。 なぜなら、お寺の仕組みや、しきたりなどの知識が全くなかったからです。 始めのころは、応対して下さった方との話がかみ合わず、しどろもどろする毎日が続きました。 しかし一度出家を志した以上、後戻りはできません。 そこで先ず、お寺に関する一般的な勉強をしたのです。 仏教書を読んだり、老僧の方々の法話を聞いたり、写経会や坐禅会などに参加しました。 すると徐々に、各宗派の教えの違いなどがわかってきました。 そしてその中で、私は曹洞宗に惹かれてゆきました。 理由は、参禅会に赴くにつれ自然と坐禅を毎日やりたくなったことと、出家の意思を決定づけた「修証義(シュショウギ)」というお経の一節「菩提心を発すというは己未だ度らざる前に一切衆生を度さんと発願し営むなり」が、私の脳裏から離れなかったからです。 そこで今度は、全国にある曹洞宗寺院の中で、坐禅会を行っているところを中心に巡り歩きました。

 福井県のあるお寺を訪ねたときのことです。 私は堂頭(ドウチョウ)和尚様とお会いできる機会を持ちました。 すると、不思議なことが起こりました。 坐禅についての話題で始まった会話が、いつのまにか西有穆山(ニシアリボクザン)禅師様の話題になっていたのです。 西有禅師というお方は今から100年程前の曹洞宗僧侶で偉い方です。 しかし、同じ青森県出身ということで、私は以前より禅師様のことはよく知っていました。 私も出家できたら、禅師様のような素晴らしいお坊さんになりたいと思っていましたので、この話題になった途端、会話は徐々に盛り上がってゆきました。 すると堂頭和尚様が、「禅師様と関係のあるお寺が兵庫県にあるから、訪ねてみてはどうだ?」と紹介してくださったのです。 そこで、永源寺を訪ねることになりました。 そして方丈様と出会い、出家したいという気持ちを伝えました。 すると、方丈様が快くその気持ちを受け止めてくださったのです。

 同じ青森県出身の西有禅師様と関係のある永源寺にたどり着いたというのはとても不思議ですが、これも何かのご縁だと思います。 今振り返ると、半年の間、曹洞宗に限らずいろいろなお寺にお参りさせていただき、多くのことを勉強させていただきました。 この経験を今後に生かしたいと思っています。




「涅槃会(ネハンエ)を終えて」

 2月15日はお釈迦様の入滅された日です。 80歳で亡くなられた日、多くの弟子、王族、老若男女、さらに鳥獣さえも集まり嘆き悲しみました。 このとき、サーラの樹には白い花が咲き、悼みの花びらを次々と降らせたといわれています。 2月に入るとこの情景を描いた涅槃図を本堂にかかげ、遺教経(ユイキョウギョウ)を毎日夕方に読経します。 そして、15日に涅槃会というお釈迦様を偲ぶ法要をとり行うのです。

 今年の涅槃会は小雨が降る中、梅花講のお唱えと共に静かに始まりました。 導師(ドウシ)様入堂の後、本尊様に三拝し、供物のお供えをした後、遺教経と舎利禮文(シャリライモン)を読経しました。 読経終了後は再び本尊様に三拝をして、滞りなく涅槃会を終えることができました。 参加していただいた50人近い檀信徒の皆様と一緒にお唱えさせていただいたのですが、私は驚いてしまいました。 それは、般若心経などと違い、日頃あまり目にすることのないお経にもかかわらず、皆様の読経がぴたりと合っていたからです。 はじめの頃、なかなかスムーズにお唱えできなかった私を恥ずかしく思いました。 この日、涅槃団子をつくって供養し、その団子を食べて無病息災を願うところもあるようですが、私たちはいちご大福をいただきました。 ワイワイと和やかな雰囲気の中で美味しくいただきました。 ふと空を見上げると、天気はいつのまにか晴れていました。 きっと、お釈迦様も喜ばれているのだろうと思いました。

 今回の法要で、私は涅槃図への関心を持ちました。 それは、描かれている動物たちのことです。 ある檀信徒の方が、本堂にかかげられた涅槃図を見ながら「動物の中に猫がいないよ。」と指摘したのがきっかけです。 それまでは全く気が付きませんでしたが、涅槃図をよく見ると、いくら探しても猫が見当らないのです。 ミミズのような小動物でさえ描かれているのに、猫がいないのはなぜだろうと思ったのです。 このことをいろいろな人に聞いてみると、「ネズミがそそのかしたために、猫がお釈迦様の入滅の日に間に合わなかった」といういい伝えがあることを知りました。 また本で調べると、制作年代によっては描いている涅槃図も僅かですが存在することを知りました。 しかし結局のところ、確実な理由をつきとめることはできませんでした。 この件に関しては、簡単に解決しそうもないので、引き続きじっくりと調べてゆこうと思います。 また、この件に関して何か知っている方がおられましたら、是非教えていただきたいと思います。 なにわともあれ、無事に涅槃会を終えることができてホッとしている圭秀でした。

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