2002/01/29

「なぜ出家を志したのか」

 私は以前、会社員(営業マン)として働いていました。 その私が出家を志そうと思ったのは、親戚が管理しているお墓のリフォームをお手伝いしたことに始まります。 はっきり申しますと、それまでの私は先祖への思いがほとんどありませんでした。 しかし、お墓のリフォームに携わるに連れ、その思いが徐々に強まっていったのです。 そして、それまで考えもしなかった"何代にもわたる先祖がいて、私は生まれることができたのだ"ということを考え始めたのです。 と同時に、先祖に対して何もしてこなかった自分に反省し、これからは先祖への供養に力を入れてゆこうと思ったのです。

 また、私には気になっていたことが一つありました。 それは、大学時代に亡くした親友のことです。 登山途中で落石に遭い、若くしてあの世に往ってしまったのですが、その思い出がいつまでも脳裏から離れなかったのです。 しかし、出家を志すにつれ、不思議とその記憶は薄れてゆきました。

 そのような時に、出家の意思を確固たるものにさせたお経とめぐり合ったのです。 それは「修証義(シュショウギ)」というお経です。 第四章の「菩提心を発すというは己未だ度らざる前に一切衆生を度さんと発願し営むなり」という一節が、私の気持ちと共鳴したのです。 幼少の頃の夢「大きくなったら人のためになることをしよう」が、再びよみがえりました。こうして出家の意思がゆるぎないものとなりました。




「お正月を終えて」

 今までのお正月といえば、神社やお寺に初詣に行くという感覚でした。 しかし、今年から立場はすっかり正反対となってしまいました。 そのお陰で、お寺の忙しさを体験することができました。

 それでは、年末からお正月にかけての永源寺の流れを簡単にご説明したいと思います。
年末の主な行事は、なんといっても大掃除とお餅つきです。 大掃除で私たちは、本堂、位牌堂、僧堂、観音堂などのすす払いや、仏様のお身ぬぐいを中心に1年間の垢を落とします。 お餅つきは、仏様にお供えする鏡餅を作るために行われます。 大小さまざまな鏡餅を作るのですが、大きいものになると1重ねに二升の餅米を使い、小さいものでも80重ね程度作らねばならないので、2斗の餅米を使いました。 皆様に手伝っていただきながら、ワイワイと楽しく作らせていただきました。 これらの行事の他に、垂れ幕を張ったり、お花を松・竹・梅に変えたりしながら毎日が過ぎてゆきます。
お正月の朝は、本堂でのご祈祷から始まります。 檀家の皆様へお札をお配りするために、家内安全・子孫長久などを祈るのです。 ご祈祷が終わりますと、今度は境内を巡堂しながらそれぞれの仏様(ご開山様、韋駄天様、地蔵様、秋葉様、観音様など)に対してお勤めをします。 最後に自分の部屋でお師匠様の法身堅固などを祈る寿餅諷経(ジュビョウフギン)をお唱えして、朝のお勤めは終わりとなります。 そしてお餅(朝食)をいただき、お参りに来られる皆様をお迎えするのです。

 お正月の準備から参拝者への応対まで、今回のお正月で勉強したことはいろいろありましたが、その中でも特に興味を持ったのは正月料理のことでした。 永源寺ではお正月三ヶ日の朝のメニューは昔から決まっているのです。
1日目:大根・人参・お餅入りのお吸い物
2日目:お餅入りお味噌汁(具はお餅のみ)
3日目:おしるこ
このメニューにおせち料理がつくのですが、上記のメニューは3代前の住職、つまり100年程前から変わっていないことを方丈様に教えていただきました。 永源寺には昔から伝わるお正月料理があることを知り、「受け継ぐ」という意味を再認識すると共に、他のお寺のお正月料理にも興味を持ちました。

 昨年の年末からお正月期間中は忙しい毎日の連続でしたが、その反面、嬉しい気持ちになりました。 それは、多くの皆様にお参りしていただいたからだと思います。 初詣に来られた皆様に対してはもちろんのこと、除夜の鐘の時も、鐘を打つことができなかったにもかかわらず(庫裏建設に伴い鐘楼堂を移動したため、録音テープを使いました)、多くの方に来ていただきました。 ありがとうございました。
 来年は新しい庫裏の元、今年とは様子の違うお正月になると思いますが、再び多くの皆様に来ていただけるよう、頑張りたいと思います。

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