上山者(参禅者)の声

 永源寺の生活は、坐禅や読経などの他、境内の掃除や、典座寮(台所)における日常のおつとめをはじめ、時には托鉢をしたり、裏山の草木を切って生け花をしたり、法語作成のために漢字(平仄や韻)を学んだり、習字の練習をしたり、お袈裟の把針(縫うこと)をしたりと、季節に応じて様々です。 大自然に囲まれた環境に加え、地域の人々と共に行持(ぎょうじ:行は修行、持は護持・継続の意)をつとめている永源寺には、時々、参禅希望や修行希望の方が来られますが、その方々にこの寺についての感想文を書いていただきました。 どうぞ御一読下さい。




永源寺と八鹿の優しさに触れて  国平寺徒弟  尹 鮮昊

 この度は、同じ大学院に通う先輩に声を掛けて頂き、永源寺で行われた夜施餓鬼会のお手伝いに参加させて頂きました。私は国籍が日本ではありませんが、生まれは東京都で在日三世に当たります。現在は国平寺という寺に住んでいます。国平寺では夜施餓鬼会という盆行事は行いませんので、どのような行事か想像がつきませんでした。また、他のお寺にお邪魔になり、一週間お手伝いをするという経験もありませんでした。そういったこともあり、先輩から大まかな内容は聞いておりましたが、お手伝いの為に八鹿町に向かった初日は、極度の緊張感を持っていました。

 しかし養父市に着くと、開放感溢れる緑を目の当たりにし緊張感は徐々にほぐれ、永源寺に到着しますと、皆様が温かく迎い入れて下さり、そこで気持ちは安心感に変わり短い期間ですが精一杯努めようという決心をしました。

 お寺でのお手伝いの内容は境内の掃除、夜施餓鬼会の準備でありました。私は、佐々木住職や先輩和尚さんと一緒に本堂中央で法要をつとめることはできないので、その時は、より一層掃除と次の法要の準備に力を入れました。特に、位牌堂から本堂へお位牌を運ぶことには注意を払いました。

施餓鬼棚にまつられたお位牌の前に供物を並べたり、ススキや境内の草木を利用して本堂前にそれらを生けることも行いました。夜になると、その綺麗に整った本堂にたくさんの檀家の方々がお参り下さるのを見て、私は気持ちが良く非常に嬉しく思いました。

 法要時には、仏様が見守る中で、私もお参りされた檀家様と同様に読経し、合掌礼拝を行いました。法要後の佐々木住職の意識の方向性についてのお話が印象に残っています。私は生まれてこの方東京都に住んでおり、毎日人込みを感じながら電車に乗り通学し、どこか忙しく過ごす人たちが多い雰囲気の中、また科学の発達により情報が簡単に手に入れやすくなった現状において、たとえ仏教についての勉強をしていても、勉強そっちのけで気持ちがいろいろな所に引っ張られてしまう時があります。佐々木住職のお話により、私自身考えさせられたものがありましたし、最後までお手伝いをしっかりやり遂げようという思いが強くなりました。

 私は朝課の間は本堂前の草取りを行いました。そこで毎日目にしたのは、永源寺の庭に広がる見事な苔であります。私は苔については詳しくありませんが、ここまで立派に育てるためには手入れと時間が必要なのは承知しておりますので、実に感動しました。話を聞くと、やはり十年ほどかけて全体が美しい緑色に染まったということを聞き、毎日の積み重ねの大切さをこの身に感じました。見習うべきものを、庭を彩っている苔を通して得ることができました。

 最後に永源寺周辺の八鹿町の町中を散歩した際の感想です。私の住む場所は東京でも特に山も見えず、川も近くにない地域であるため、四方八方山に囲まれ、澄んだ川が流れている光景は素晴らしいものでした。各家の横には水路があり、昔から残る街道があるというのも良きものであります。

一番感動した出来事は、先輩和尚さんと八鹿町内を散歩していた時に、中学生ぐらいの男子が私たちにちゃんと声を上げて挨拶をしてくれたことです。何でもなく当たり前のことなのでしょうが、私は普段見ず知らずの人から挨拶されることはなく、こちらから挨拶するということもありませんでしたので驚きでした。これも町全体にゆったりとした心温かい空気が流れ続けている一つの要因であると思いました。

 お手伝いの期間はあっという間に過ぎ去りまして、私が参加してお役に立ったかどうかは分かりませんが、私自身は得るものが多くあり勉強させて頂きました。夜施餓鬼会に参加された檀家の方々の真っ直ぐな先祖供養に対する思いに触れたこと、本堂と位牌堂を掃除したこと、庭に広がる苔に触れたこと、永源寺の皆様の優しさに触れたことなど、すべてが勉強になりました。短い期間ですが大変お世話になりました。有難うございました。