上山者(参禅者)の声

 永源寺の生活は、坐禅や読経などの他、境内の掃除や、典座寮(台所)における日常のおつとめをはじめ、時には托鉢をしたり、裏山の草木を切って生け花をしたり、法語作成のために漢字(平仄や韻)を学んだり、習字の練習をしたり、お袈裟の把針(縫うこと)をしたりと、季節に応じて様々です。 大自然に囲まれた環境に加え、地域の人々と共に行持(ぎょうじ:行は修行、持は護持・継続の意)をつとめている永源寺には、時々、参禅希望や修行希望の方が来られますが、その方々にこの寺についての感想文を書いていただきました。 どうぞ御一読下さい。




坐禅会へ参加  若林 貴一
 初めて坐禅会へ参加させていただいて感じたこと。日々生活していく中で、ご先祖様とのご縁や、繋がりを感じることが多くなり、恥ずかしながらこの歳になりようやくご先祖様のお陰様と思えるようになり、坐禅会へ参加しようと思いました。
先ずは、作法を佐々木方丈より教えて頂きました。テレビ等でしか見たことがなかった坐禅ですが、やってみて、そういうこともあるのかと、作法だけでも興味深いものでした。所作の中で、自分の体の硬さに改めて気付かされました。普段使わない筋肉が伸ばされることでやりにくい所作などありましたが、予行練習で二回、三回とやっていくと段々と体も伸びてきて、一回目より楽にできていることが感じ取れました。佐々木方丈がお手本を見せて下さいましたが、楽々と呼吸をするくらいに普通にされる所作、簡単そうに見えていざ自分がやってみると思うようにいかなかった。あぐらより深く組む結跏趺坐(けっかふざ)で坐り、両膝とおしりの三点で体を支える為に左右に偏りがあると途中で苦しくなる為に、左右揺振(さゆうようしん)で中心をとって坐れるようにと、準備運動的なものだなあと理解しました。
 いざ止静鐘(しじょうしょう)が鳴り坐禅が始まりました。その後は、静けさが広がりました。半畳先を見るようにと指導されました。改めて静かな町だなと思いつつ呼吸法に集中し、壁をぼんやりと見つめる。雑念は流して下さいといわれましたが、雑念だらけというか、次々に色々な思いや、考えが邪魔をしにやってくる。普段もこんなに考えているものかと思いつつ、静かな空間で無になかなかなれず、また呼吸法に集中しようと思いなおす。法界定印(ほっかいじょういん)の親指が知らないうちにほどけているので直しつつ、気が付くと手にじんわり汗がにじんでいた。呼吸法に意識を戻し、長い呼吸を心がけるも体に緊張が入ると苦しく短めで止まってしまう。体の位置を修正しつつも呼吸を整える。お腹の辺りが温かくなってきたことを感じながら、無になれないなと呼吸法へ集中する。何十年と参加されている先輩方は何一つ音など立てられず、呼吸音すらしなかった。壁に集中、呼吸に集中する。突如、左の視界に方丈が音もなく現れる。終わりの合図をされるべく、鐘の音と木槌の音が打ち鳴らされると共に、ぼんやりした意識から少しずつクリアになっていく。本来なら音の合図で終了の作法を自らしていくのだが、初参加のため、方丈より「終わりましたよ」と告げて頂いた。左右揺振で体をほどいて、自分の単(たん)から降りた途端に足が痺れていることに気付く。「少し痺れが取れるまで休みましょう」と方丈にお心遣いを頂き脚に感覚が戻るまでその場で立ち止まる。ようやく動けるようになり、坐禅堂を退室する。自分自身が一番心配していた居眠りだけはしなかったことにビックリ。あっという間に一時間が経過したことに二度ビックリ。坐禅の手解きを教えてくださった佐々木方丈、有難うございました。自宅でもできる時は続けてみようと思います。