上山者(参禅者)の声


 永源寺の生活は、坐禅や読経などの他、境内の掃除や、典座寮(台所)における日常のおつとめをはじめ、時には托鉢をしたり、裏山の草木を切って生け花をしたり、法語作成のために漢字(平仄や韻)を学んだり、習字の練習をしたり、お袈裟の把針(縫うこと)をしたりと、季節に応じて様々です。 大自然に囲まれた環境に加え、地域の人々と共に行持(ぎょうじ:行は修行、持は護持・継続の意)をつとめている永源寺には、時々、参禅希望や修行希望の方が来られますが、その方々にこの寺についての感想文を書いていただきました。 どうぞ御一読下さい。




坐禅会に参加させていただいて       北見 弘之


 永源寺の本堂前で佐々木住職と初めてお会いしたのは、父を亡くして間もない頃であったと思います。
 竹箒を持たれた住職のお姿にすべてを受け入れ包み込むやわらかさを感じ、私は何の迷いもなく「東京から八鹿にUターンしてきた時には、是非参禅させてください」とその場で無礼を承知でお願いしていました。

 初めての出会いから、一年余りが経過した平成22年9月4日より永源寺での坐禅修行をさせていただくことになりました。
 先ず、坐禅堂のすばらしさに驚き、感動しました。 そしてこのような専門道場で坐禅をさせていただける贅沢に申し訳なさを感じながらも、当日は猛暑真っ盛りで汗だくになりながら、悪戦苦闘での坐禅修行の始まりでした。 少しばかりかじっていた臨済禅の所作との違いに戸惑いながらも和尚の親切なご指導により永源寺での修行スタートを切ることができました。

 ここ永源寺は子供の頃に遊んだ「私の庭のようなもの」で、カンス岩への登山口にあり、「八鹿っ子」の私にとっては懐かしく思い出での場所でもあります。 半世紀の後、この寺で坐禅をしているなんて子供の頃からは全く想像すらできませんでした。

 八鹿から東京に出て40年以上の歳月が過ぎました。 当時とは違いすっかり静かになった八鹿の町並みを通り抜け永源寺の境内に足を運ぶ日々です。

 そもそも私が最初に坐禅修行を始めたのは七年程前になるのですが、「見性する」とか「大悟する」とか、そのようなことは私の修行レベルでは望むべくもなく、ただ、「心閑かな」時をもち「動じない・とらわれない自由な心を得たい」という思いからです。
 そして人生第二章に入る年頃となった今、只ただ「即今」を大切に生きていきたいと思う今日この頃です。
 和尚のご指導も得ながら、長続きを第一にボチボチとやって行くつもりです。