上山者(参禅者)の声

 永源寺の生活は、坐禅や読経などの他、境内の掃除や、典座寮(台所)における日常のおつとめをはじめ、時には托鉢をしたり、裏山の草木を切って生け花をしたり、法語作成のために漢字(平仄や韻)を学んだり、習字の練習をしたり、お袈裟の把針(縫うこと)をしたりと、季節に応じて様々です。 大自然に囲まれた環境に加え、地域の人々と共に行持(ぎょうじ:行は修行、持は護持・継続の意)をつとめている永源寺には、時々、参禅希望や修行希望の方が来られますが、その方々にこの寺についての感想文を書いていただきました。 どうぞ御一読下さい。



永源寺の夜施餓鬼会と棚経に際して     土井龍操

 永源寺が明治時代の大眼蔵家、西有穆山禅師の法を継がれた岸沢惟安老師を歴代住職の二十四世に数える由緒正しきお寺であることは、以前より先輩から伺って知っていました。
 この度、このようなお寺から私のような小僧に夜施餓鬼会と棚経に伴うお話を頂戴した時には、正直驚きと戸惑いで一杯でした。なぜなら私には、出家してからこれまでの間、施餓鬼の法要はおろか、棚経にまわらせて頂いた経験すらなかったからです。
 約一年の僧堂安居は終えていましたが、安居中の夏は、アメリカのお寺にて晋山結制式に参加させて頂いていたため、僧堂や師寮寺にてこれらのことを経験させて頂くには至っていませんでした。
 お話を頂戴してからしばらくして、その旨をお伝えしてご辞退申し上げようとお電話をさせて頂きました。すると方丈様は、このような私の気弱な思いを一掃して下さるが如く「大丈夫です。お盆のおつとめを一緒にやりましょう。」と力強く話して下さいました。
 こうして私は、夜施餓鬼の法要と棚経のお手伝いをさせて頂くことになりました。永源寺の夜施餓鬼会とは、その名の通り夜に行われるもので、この法要は六日間連続で行われます。午前中は、前日の晩にお祀りしたお位牌を施餓鬼棚から位牌堂に戻した後、本堂の清掃を行います。午後からは、その日の午前中に申し込みのあった檀家さんのお位牌を位牌堂から施餓鬼棚へと運ぶことから始まり、法要の準備や練習をしました。これらのことを猛暑の中で行うことは、過酷を極めましたが、滝のように流れ出る汗をぬぐいながら必死になって準備をしました。
 夜になると続々と檀家の方々が集まってこられました。本堂に入るや否や、直ちに深々と御本尊様に合掌低頭をなされるお姿を見るにつけ、永源寺の檀家の方々の仏法に対する信心深さとお寺に対する誠実さを伺い知ることができました。こうして六日間にわたって行われた夜施餓鬼の法要も無事に終わり、私にとっては大変貴重な経験をさせて頂いた六日間となりました。
 八月八日からは、今度は棚経が始まりました。この棚経におきましても私には初めてのことばかりで、初日は不安と緊張の連続でした。各家をまわらせて頂くと、驚いたことに檀家の方々には、こんな私のような小僧にさえも膝をついて深々と頭を下げられ、丁寧に迎えて下さいました。私は何故にそこまでなされるのかと少し戸惑いもありましたが、その理由は直ぐに理解することができました。檀家の方々は、皆さん口を揃えて「高橋方丈様はお元気ですか、佐々木方丈様はどちらですか、いつも本当にお世話になっているのですよ」といわれたからです。
 私はその時「ハッ」としました。檀家の方々が頭を下げておられるのは、小僧の私ではなく永源寺だったのです。方丈様であり、歴代の方丈様であり、ひいては高祖様(道元禅師)であり、釈尊であるのだと改めて意識すると、急に背筋が伸びる思いで一杯になりました。そしてその時、私自身も仏様にお仕えさせて頂いている一人なのだという強い自覚が改めて芽生えさせられ、歴代の祖師方に対して僧侶として少しでも恥じない生き方をしなくてはならないのだと改めて決意することができました。
 最後になりましたが、方丈様をはじめ、永源寺の皆様には十二日間大変お世話になりました。この場をお借りして衷心よりお礼申し上げます。 合掌